子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

どぶろく買いに

2013年08月15日 | 中、高時代
かあちゃんのかつぎ屋で最初に思い出すのはどぶろく買いのことです。

さかなの骨をのどに詰まらせたときに行っていた耳鼻咽喉科の西藤医院の近くまでかあちゃんと乳母車を押していきました。


この乳母車は姉の子どもが使っていたもので、かご(?)の部分は籐で編んでありました。(図はイメージです)

昭和の初めまでわたしたちの市には刑務所(監獄と言っていました)があり、そこにいる受刑者(囚徒と言っていたそうです)が炭鉱で使役されていました。

これからは伝聞です。囚徒たちが炭鉱へ向かう道を囚徒道と言い、道のそばの人がその囚徒道にたばこを埋めていたこともありました。それを受刑者は見つけて持ち帰り、吸ったと聞きました。

こんなことも聞きました。刑期を終えた受刑者でこの近くに住みついた人もあると。

心の広い人が多かったのでしょう。

さて、かあちゃんとわたしは囚徒道の近くに着きました。かあちゃんは「ここで待っとれ」と言って、どこかへ行きました。
わたしは乳母車のそばで待っていました。近くで異臭が臭っていました。豚を飼っているらしい臭いでした。

臭いを我慢して待っていると、やっとかあちゃんが出てきました。大事そうに水枕を持っていました。(いまはほとんど見かけませんし、家にもありませんが、熱が出たときにはよく使ったものです。熱帯夜に氷を入れて使えばいいかも)

水枕の中にどぶろくが入っていたのです。
かあちゃんはこれをどこに売ったのかはわかりません。


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