子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

6. 「昭和」にも伊達直人がいた?

2012年03月19日 | 小学校入学前
2010年暮れ以降、タイガーマスクの伊達直人と名乗る人がランドセル
を施設の子どもに贈り、一時は社会現象のようになりました。

「昭和」にも「伊達直人」はいたのでしょうか。まさか、ですね。

これはいとこの多恵ちゃんの話です。多恵ちゃんの母親はとうちゃんの
妹です。だが、離婚して、多恵ちゃんは養父母に育てられていました。

多恵ちゃんが小学校に上がるときのことです。
「おばさんがランドセルを持ってこらしたと」おばさんというのはうちの
かあちゃんです。
「だれからの贈り物ですか、てうちは聞いたつよ」
「おばさんはなんも言いなはらん」
「………」
「うちは母親からじゃなかかと思うた」

親との縁の薄い多恵ちゃんには母親からの贈り物と思うのが一番でしょう。
大人になってからその話を聞いたわたしはそうよ、絶対そうよ、と肯定しました。

5. のどに魚の骨の常習者

2012年03月08日 | 小学校入学前
恥ずかしながら、子どものころから体が弱かったです。
風邪は引くし腹はこわすし、もやしっ子でした。

体が弱い人でもあまり経験がないだろうということを
書きます。

小学校に入学する前も入学してからも、魚の骨を
よくのどに引っかけました。
すると、かあちゃんがおんぶして耳鼻咽喉科に連れて行くのです。

今回、この耳鼻咽喉科の西藤医院を探してみました。
今はこの医院の名前を聞きません。たぶんこの辺にあったと思い
探しました。
家から2キロくらい離れているところです。

おりよく通りかかった年配の女性に教えてもらいました。
西藤医院という耳鼻咽喉科があった場所もわかりました。
いまは診療所ではありませんが、「西藤」とドアに字が残って
いました。


ここまで何回来たか、もちろん覚えていません。
後年、途中にまんじゅう屋があって、そこでまんじゅうを買って
食べさせると不思議に魚の骨が取れたとかあちゃんが笑っていました。

まんじゅうでなくてものどの骨は取れるのですよね。ごはんでも口に入れて
飲み込むと取れると後で知りました。



4. 爆発赤痢

2012年03月02日 | 小学校入学前
1937年(昭和12)わが市で赤痢が爆発的に発生しました。

市史によれば「9月25日に突如として全市にわたって赤痢患者が
爆発的に発生し、日を追うごとに蔓延し、ついに患者数は
11,851名となり、ほかに疫痢患者97名、内死亡者712名に及ぶ
大流行であった。」

火葬場は25日から昼夜兼行で作業したため28日にはその過熱に
よって焼失した、ほどだったそうです。

また、患者のほとんどが1歳~5歳の乳幼児でした。
爆発赤痢と呼ばれています。

ここからは多恵ちゃんの話になります。
「ふみちゃん(わたし)は腹をこわして蚊帳の中で独りで寝せられて
いたのよ。わたしが傍についていたら、わたしのほうが赤痢になって
隔離された。小学校が臨時の隔離場所になったと。
学校の柵の外からおっつあん(わたしのとうちゃんのこと)が
多恵子、多恵子と呼びなはると。なんやろうかと行くとキャラメル
ば手渡してもろうた。うれしかったよ」

わが家にはグミの木があったが、小さい子どもが実を食べて腹を
こわしたらいけないと、このあとに切られたようです。



写真は亡くなられた712人を祭った慰霊碑です。市中心の公園にあります。