子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

ウバユリから思い出すこと

2014年07月22日 | 中、高時代
少し前に、わが市の北部にあるお寺に行きました。お寺の裏は林になっています。そこにウバユリがたくさん咲いていました。
ウバユリは初めて見ました。



これはまだ花が咲く前です。
花が満開になるころには葉が枯れてくることが多いため、歯(葉)のない「姥」にたとえて名づけられたそうです。
名前のとおり姥になっている花もありました。



姥になっても花が咲けばいいですね。最近はそんな女性も多いかもしれません。
わたしは「乳母」の字を当ててほしかったなあと思いました。「子に乳を与える母」という意味で。

昔は栄養剤やサプリメントはなかったと言っていいでしょう。
「子どもを産むと歯が弱る」と言われました。そんなお母さんを見たこともあります。子どもを産むことはたいへんでした。

昭和30年代ころまでは、お産のあとのお見舞いは新鮮な鶏卵でした。菓子箱にもみ殻を敷き、生みたてのたまごを求めて並べ、それを持って行きました。

隣の町(いまは市制です)の三軒家のあめがたを持って行くこともありました。「あめがた」はもち米と麦芽で作る、板状のお菓子で母乳の出がよくなると言われていました。砂糖を入れていないのに甘くて、うまかったです。

こんなお産見舞いは平成20年代にはないでしょうね。ウバユリからこんなことを思い出しました。

水たまりは自転車をかついで

2014年07月13日 | 中、高時代
台風8号(7月10日朝鹿児島県に上陸)による被害はありませんでしたか。南から北へたいへんな被害をもたらしました。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。

テレビを見ていると冠水した道路を自転車で移動している人がありました。これを見て思い出したことがあります。

高校の同級生にYAくんがいました。当時(昭和20年代なかごろ)は今のように道路は舗装してありませんでした。舗装道路でない方が当たり前でした。道路には穴ぼこがあり、雨の日には水たまりになります。
YAくんはそこでは自転車をかついでいたそうです。
友だちのYOの目撃談です。

新しい自転車は水たまりはかついで歩きたくもなったでしょう。自動車も雨の日には乗らないと聞いたことがあります。
自転車も貴重品のころです。YAくんの気持ちもわかります。

わたしは新しい自転車に乗ったことがありません。いつも中古でした。
そのあと90CCの2輪に乗りましたが、これも中古。
自動車に乗るようになっても新車は1台だけ、その前もあとも中古車です。



ベースとスコアブック

2014年07月10日 | 中、高時代
ベース持参で遠征したことを書いたらベースのことを思い出しました。

わたしたちのチームはホームと各塁のベースを持っていました。これは市販のベースではなく手製でした。
工場で使うベルトコンベア(どこで手に入れたかは記憶にありません)を軟式野球のルールのとおりに切ってチームで持っていました。これをよそで試合をするときのも持って行きました。

草野球ではそのつど地面にベースを書きますが、わたしたちはチームで持っていました。草野球では珍しかったのではないでしょうか。

珍しいと言えば、スコアブックを作っていたのも相手チームでは見ませんでした。
市販のスコアブックを買って、毎試合つけていました。相手チームの記入はしません。自チームの打順、出来ればストライク、ボールをつけ、打席の結果、どこへ打ったか凡打か安打か、どこへ飛んだかなどを記入しました。これはほぼみんな記入できました。

スコアブックをつけて、打率を争ったものです。

いま思えば、これは上級生にはよかったかもしれませんが、下級生には面白くなかったかもしれません。高校生から小学6年生くらいまでのチームでしたから。

野球の遠征

2014年07月07日 | 中、高時代
久しぶりに野球チームのことを書きます。

わたしたちのホームグラウンドは同じ町内の小学校の運動場でした。ここでビジターを迎えるのですが、運動場はほぼ矩形でホームベースの位置によって、ライト側が狭くなったり、レフト側が狭くなったりします。

それで、相手によっては企業のグラウンドを使うこともありました。戦後は軟式野球のチームを持つ企業がたくさんありました。対抗戦やトーナメントの試合がよく行われたものです。
試合がないときにはこっそりそこを使わせてもらいました。

小学校区内には工業高校もありました。そこを使うこともありました。日曜日は部活が休みのようでした。野球部が使わないときにはそこも使いました。

これらは同じ小学校区内のチームと試合をするときです。

高校の同級生のS君が「試合ばすうじゃなかね」と申し込んできました。S君は隣の市に住んでいました。「近くに会社の広場もあるケン、そこで試合すい」という申し入れです。

わたしたちのホームグラウンドからは6~7キロはあるのではないでしょうか。
自転車に野球の道具とベースなどを積んで、てくてく歩いて行きました。途中でこれも同級生のY君をチームに補強して、試合の広場を目指しました。

夏休みの暑い日でした。試合には勝ちました。でも、それだけでは相手が納得しません。「もう一試合」と挑戦され、2試合目は負けました。
また、6~7キロ歩いて帰りました。