前回ヒサばあちゃんには男2人、女4人の子どもがいたと書きました。女の2番目が熊本市の迎町という所に嫁いでいました。白川のそばの米屋さんでした。ここも男2人、女3人のあまり裕福ではない家庭でした。
この叔母が母親の後継ぎをしたようです。近くに長六橋という橋があり、その下に家族がいました。余談ですが、橋の下は雨露をしのぐにはよかったようで、戦後中学に通学するときに橋の下に住んでいる人を見て通ったものです。
叔母は子どもにも十分食べさせられないのに橋の下の家族に食べ物を持って行ってたそうです。
それを見ていたからでしょうか、一番下の娘が母の遺志を継いで今愛知県で毎月1回自宅を開放してサロンを開き、お年寄り(自分もすでに高齢者です)が集える場所を提供していると話しています。
この叔母が母親の後継ぎをしたようです。近くに長六橋という橋があり、その下に家族がいました。余談ですが、橋の下は雨露をしのぐにはよかったようで、戦後中学に通学するときに橋の下に住んでいる人を見て通ったものです。
叔母は子どもにも十分食べさせられないのに橋の下の家族に食べ物を持って行ってたそうです。
それを見ていたからでしょうか、一番下の娘が母の遺志を継いで今愛知県で毎月1回自宅を開放してサロンを開き、お年寄り(自分もすでに高齢者です)が集える場所を提供していると話しています。