子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

一穴主義か

2016年02月11日 | 大人になって
退職後に高校時代からの友人H、Y、Tとたびたび旅行しました。

旅行先で、Tがわたしに「一穴主義か」と聞いたことがあります。

「主義じゃなかばってん」
あいまいに答えました。

Tはそれ以上聞きませんでした。
わたしもそれ以上言いませんでした。

二十歳のころには、まだ赤線がありました。そうそう、Tの家の近くには
赤線の家がありました。

わたしは臆病者です。病気が怖かったのです。1回、赤線の並ぶ地域に昼間
年上の知り合いと行きました。
でも、上がることはできませんでした。

奨学金を支給されると「ちょっと行ってくる」と出かける知り合いもいました。
せいせいした顔で帰って来ていました。

赤線が無くなると温泉旅館などで女性が相手にするという話があちこちで聞かれました。
男ばかりの職場では慰安旅行でそんな場所へ出かけることが多くなりました。

職員になって2,3年目に某温泉に行きました。男ばかり7人の職場でした。

翌朝朝食のときに年増の女中が「きのうはみんなゆきわたったネ」と聞きました。
「こん人はしとらっさん」と連れのだれかがわたしを指差しました。

「そんならこっち来んね」
別の広間に連れて行かれて、「早よパンツ脱がんね」と急かされ、上からかぶさってきました。

それがわたしの筆おろしです。