子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

糒(ほしいい)は焼き米

2014年03月29日 | 小学生時代


郵便局に行くと上のチラシを見つけました。

今年1月6日に投稿しました「糒の思い出」の糒は焼き米と言っていたと思い出しました。
チラシでは「焼き米」は昔から肥後の矢部地方に伝わる非常用保存食です、と書かれていますが、阿蘇地方でも焼き米と言っていました。おとっあんもおっかさんも阿蘇地方の出身です。今でもどこかに残っていると思います。

食べ方はいろいろで、そのまま食べてもおいしい、お茶をかけてお茶漬け風でもおいしい、砂糖を入れておやつにもおいしい、と書かれています。そのとおりと思います。

郵便局で見たチラシで「焼き米」を思い出してよかったです。

映画館の暗闇で

2014年03月20日 | 中、高時代
中3か高1でした。近くの映画館にひとりで行きました。入場者が多く立ち見でした。

スクリーンに熱中していると、誰かの手が股のところを触ります。後ろを見ると青年が立っていました。
「なんばすっとね」(なにをするの!)と言いたいのですが声が出ません。

そこから離れたところへ移りました。

青年はそこまでは来ませんでした。

背は小さく、青白い顔の子どもでしたから、お稚児さんに見えたのでしょうか。大きい声を出したりどついたりすることはできませんでした。
常日頃から練習しておくべきですね。

映画館と言えば、2階席の一番前にアベック席を作った劇場もありました。男女がくっついていても後ろの席からは小さいところまでは見えないようになっていました。

いちゃつくアベックがいると気になって映画どころではなかったです。

同級会も修学旅行もない

2014年03月09日 | 中、高時代
高校や中学校の卒業の時期ですね。

それで思い出すのは同級会や修学旅行のことです。

小学校では修学旅行はありませんでした。
これは無理からぬことでもあります。太平洋戦争の終戦をはさんだ昭和20年4月から翌年3月までが6年生でしたから
修学旅行どころではありませんでした。

修学旅行はあきらめていますが、同級会も開かれているのか、これはわかりません。疎開して1年しか在籍していないの疎開者は招待されないのかもしれません。

ならば、5年間いた町の小学校は同級会はどうなっているのでしょうか。こちらは卒業生でないので、案内がないのかもしれません。

中学は高校の併置中学になり、卒業はしました。そのまま、高校に残る者、学区制に従って北の高校、南の高校へ行く者と三つに分かれました。
ここでも同級会も修学旅行もありませんでした。さびしいものでした。楽しい中学の修学旅行や同級会の話を聞くとうらやましくなります。