子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

18. ファッションオンチの原点

2012年06月30日 | 小学生時代
昭和16年(1941)4月1日、小学校は国民学校と改称されました。
この年12月8日には太平洋戦争がはじまりました。毎月8日には
天満宮に戦勝祈願に全校児童で行きました。身内に不幸があった
者は境内に入らずに、鳥居の近くで参拝が終わるのを待っていました。

ノー天気な遊び仲間は戦争のことは忘れて遊びほうけていました。

子どもは夏には水遊びが好きです。平成の今日でも暑い日には小川に
入って遊んでいる子どもたちを見ます。
町なかのわたしたちは共同水道で水かけをこっそりしました。これは
大人たちがいない時にしかできないので、別の楽しみもありました。

水道を占拠した者が蛇口に手を当てて水を飛ばします。ほかの者は
水から逃げて蛇口を取り返します。
「きゃきゃ」「わわ」賑やかなことです。

シャツとズボンが水浸しになりました。それを替えに家に帰りました。
ちょうどその時、Sさんのおばさんが家から出てきました。
わたしを見て「ほう、おかしかぁ、冬もんば着とって」

わたしはタンスから1枚しかないズボンを出してはいてきました。
入学式の前にかあちゃんが作ってくれたサージの洋服は冬物だった
のでしょう。

この時のことがトラウマになったようで、いまでもファッションには
自信がなく、シャツとズボンの組み合わせなどわかりませんし、衣服を
ひとりでは買えません。

17. ヘアドライヤーの変わった使い方

2012年06月24日 | 余談
これは「昭和」に関係のない、余談です。
時は平成です。隣の県のY市の日帰り温泉(立ち寄り湯)で
張り紙を見ました。



「ヘアドライヤーは頭のみ使用して下さい。他には使用しないで!!」

ほかの使用とは、どんな使用法がありますか。温泉の人に尋ねました。
「足を乾かすために使う人があって、ほかの人が嫌われるのですよ」
「なるほど、水虫の足を乾かすのですね」ナットク。

ところが、
そのごまだほかの使い道があるのをわたしは見ました。

男性自身を持ち上げて、その下に温風を当てているのです。
それもありか、まあこれもナットクしました。

でも、
ドライヤーを後ろに回して尻に温風を当てている人を見ました。
これには頭をひねりました。
乾かしていいことは???。

16. マスターベイションの手伝い

2012年06月19日 | 小学生時代
4年生か5年生ころのことです。

チャンバラごっこの場所は決まっていました。5,60センチの竹が
生い茂ったところが近くにありました。
「チャンバラごっこはするバイ」と言うとこの場所へ行きます。
刀は夾竹桃の枝を切って使うことが多かったです。
夾竹桃の枝は十手にもなりました。

ここで鞍馬天狗や丹下左膳にだれかがなり、あとは捕り手などに
になります。
殺陣をつけることもあります。「あんたがこう切り込むとおれがこう
受けて」など見てきた映画を真似るのです。

5,6人でチャンバラごっこをやっていると、高等科の兄ちゃんが来ました。
わたしを指名して、竹やぶの中に連れて行きました。
ズボンから馬んごたるチ○ポを出して、上下運動をさせられました。
遊び仲間はシーンと静まって、少し離れた竹やぶの中にいました。

わたしは何もわからないまま一生懸命に手を使って上下運動をしました。

兄ちゃんが恍惚になったか、自家発電したかは覚えていません。


15. お医者さんごっこ

2012年06月11日 | 小学生時代
熊本市にはとうちゃんの妹が二人いました。
その一人が白川に架かる長六橋の近くの迎町に住んでいました。
子どもは5人、男2人、女3人でした。

ちょうど3人目がマユミちゃんで、わたしと同じ歳でした。
夏休みに遊びに行っていたわたしにマユミちゃんが、2階への
階段の上で言いました。
「お医者さんごっこしよう」

5年生ごろだったと思います。おくてで、もちろんお医者さんごっこの
経験はありませんでした。
今ならばルンルンで2階に上がったでしょう。

ところが、
ヨシエ姉ちゃんがそれを聞いていたのです。
「かあちゃん、マユミがお医者さんごっこするて言いよるよ」
それを聞いた叔母さんは目の色を変えてわたしに
「お医者さんごっこはでけんと、そげんか遊びはせんと」
わたしが誘ったのではないのに、なんでわたしが怒られるのか
不満でした。

その後もマユミちゃんとはお医者さんごっこをすることも
ありませんでした。

マユミちゃんだけでなく、ほかのだれともお医者さんごっこの
経験はありません。(-_-;)

14. 目覚まし時計を分解

2012年06月08日 | 小学生時代
例によってこの話も何年生のときか、はっきりとは覚えていません。
たぶん2年生か3年生ごろと思います。

わが家には柱時計と目覚まし時計がありました。
この目覚まし時計を分解してみました。
なんという名前でしょうか、コマみたいに回る部品(歯車のような)があります。
それが欲しかったのです。
あとで元に戻せばいいだろうくらいの考えでした。ところが、
もちろん元通りにはなりませんでした。

仕事から帰ってきたかあちゃんにおごられました(叱られた)。
かあちゃんは形相を変えて怒りました。
当然ですよね。時計は貴重品で改めて買おうとしても、買えない時代です。
これ以後、目覚まし時計は長い間わが家にはありませんでした。

怒られたわたしは下を向いて黙っていました。怒られる間、わたしは同じ姿勢で
沈黙したままでした。

もう1度同じような経験があります。それはまた書きます。