子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

3. 三輪車を買ってもらう

2012年02月24日 | 小学校入学前
わたしが生まれてから数年後、わが市にデパートができました。

そこで水道町(熊本市)の叔母さんに三輪車を買ってもらいました。


ご近所にはまだ自転車はありませんでした。遊び友だちは三輪車を
持っている人はいませんでした。そんな時代です。

タクシーが坂の下に停まりました。(わが家は坂を上がったところに
ありました)何事かと八百屋のおばさんやしょうゆ屋のおじさんが
出てきました。

タクシーを乗り付けることもほとんどないころです。おじさんやおばさんの
驚きもわかります。
タクシーから三輪車を抱えた叔母さんとわたしが降りました。この叔母さんは
熊本市の中心で結髪業をしていて、きりりとして和服の着こなしもいい人でした。

多恵ちゃんはこの時のことを自分が三輪車を買ってやったかのように得意顔で
たびたび話しました。
そしてこの時「わたしが買ってもらったのはハンカチ1枚よ」と残念そうに
話していました。

余談ですが、最近子どもが少ないからかほとんど三輪車を見かけません。
自転車のスーパーに行くとキャラクターが付いた三輪車が1万四、五千円でした。
わが子ども時代はこんなのではなかったので、マイクロソフトオフィスから
転載させてもらいました。


2. いとこの多恵ちゃんのこと

2012年02月19日 | 小学校入学前
父の妹の子どもに多恵ちゃんといういとこがいました。
わたしよりも九歳か十歳年上でした。

多恵ちゃんの記憶力のよさは抜群で、小さいことを
よく覚えていました。
父は長男で、男二人女四人の六人きょうだいです。
母の方は女ばかりの四人姉妹で、三女でした。

多恵ちゃんは、父のきょうだいのところにはどこにも顔を出して
いました。おじさんおばさんのところへ出入りするのは
当然かもしれませんが、並ではなかったです。
そして、いとこたちのことまでよく知っていました。

わが家が距離的に一番近かったのでよく家に来ていました。

わが家のこともわたしのこともをよく覚えていました。
わたしの記憶にないことも覚えていて話していました。

ということで、多恵ちゃんから聞いてわたしの記憶に刻み込まれた
ことも書いてみようと思います。

1. 押入れから跳びおり

2012年02月16日 | 小学校入学前
子どものころの記憶は人から聞いた話を覚えていることもありますが、
これは他人から聞いたことは入っていません。

お寺が開いていた幼稚園がありました。
居間を教室にしていたのでしょう。押入れの扉はなく
上段と下段の仕切りはありました。
休み時間にそこに上がって跳びおりる遊びをしていました。

自分の背丈よりも高いところから跳ぶのでちょっと勇気がいります。
かずちゃんが先に跳び、わたしに「跳べ、跳べ」と言います。
かずちゃんは和義といい、隣の町の元気者で小学校でも同じクラスになりました。

卑怯者のわたしはなかなか跳べません。

跳ぶのにだいぶ時間がかかりました。

幼稚園の記憶はこれだけで勉強のことも、かずちゃん以外の友だちのことも
覚えていません。
卒業もしていません。

なぜか押入れからの跳びおりだけを覚えています。