子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

27. 伊藤君のこと

2012年09月17日 | 小学生時代
最近は子どものいじめがひんぱんにニュースになっています。いじめが原因らしい自殺の報道を見聞きするたびに胸が痛みます。
わたしが今小学生だったらいじめに遭っていたかもしれません。体が小さくボーツとして、先生から「君の家は東西南北のどちらですか」と聞かれても、「あっち」と答えるような小学生でしたから。授業中に囃し立てられたり、授業後に取り巻かれて笑われたりしても、今ならそんなことありでしょう。

いじめれらなかったのは、級長・副級長がよかったのかもしれません。級長・副級長は1,2,3学期と交代でしたが頭の良さをひけらかす者はいなかったし、みんなによく接していました。

伊藤君はお母さんが朝鮮の人のようでした(お父さんには会っていないからわかりません)。今はテレビの中でもめったに見ない民族衣装を着て、少しO脚のような歩き方をしていました。
伊藤君とは帰り道が同じで、途中まで話しながら帰っていました。なにを話したかは覚えていませんが、ふたりとも口が達者でなくポツリポツリ話しながら歩いて行きました。
朝鮮の人は蔑視されていた時代ですが、彼もクラスの中ではいじめられなかったと思います。

1945年(昭和20)3月、国民学校5年生の終業式の日までいっしょでしたが、その後は会っていません。
伊藤君の消息はわかりません。



26. キャラメルの広告

2012年09月03日 | 余談
今回も余談です。
先日宮崎県の高千穂峡へ行きました。そこで「昭和の匂い」がする広告を見つけました。
「明治の菓子 リボン キャラメル」


明治製菓がこのキャラメルを作っていたのでしょうね。右からの横書きですから、たぶんわたしの小学生のころに売られていたのでしょうが、貧乏で菓子など買ってもらった記憶がありません。ですから、このキャラメルを見たことはありません。

この広告を懐かしいと思われる方もいられるでしょうね。