子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

男女共学1回生は卒業後も仲良し

2014年04月29日 | 大人になって
男女共学1回生は卒業後も仲良しです。5月には博多で同期会(同じ学年だけの集まり)があります。地元だけでなく関東地区からも参加があるようです。
1年下級生の同期会がもう歳だからと数年前にやめられたと聞きますが、共学1回生はまだまだ続きそうです。

遠方からの参加者にも便利のよいように前回は熊本市で開かれました。同期会プラスゴルフ、同期会プラス旅行などオプションを加えて遠来の友を歓迎しています。今回はゴルフはないようです(わたしはゴルフをしないので、グループでやっているのはわかりません)。

お世話役さんたちが仲良しでよく世話が届くので長続きするのでしょう。定期的に会食しているとも聞きます。


同期会では高校時代にかえります。男子とは中学時代にかえることもあります。
まだ現役のときに大学教授になっているTくんに「君の家に遊びに行き漫画を見せてもらったことがある」と言われました。
わたしは「それはないよ。Tくんの記憶違いじゃない」と答えました。
「いや、見せてもらった」

大学教授だから記憶はいいと思いますが、これは教授の間違いと思います。
わたしの家はこのブログでも書いているように貧乏でしたので、友だちを家に呼ぶことはありませんでした。漫画を買う余裕もありませんでした。

男女共学1回生

2014年04月17日 | 中、高時代
1949(昭和24)年、高校1年生になりました。旧制中学に試験入学していた者は試験なく高1に進学できました。
そしてこの年から男女共学が実施されました。開校以来初めて女子生徒が入学してきたのです。高校の記念誌によると「第1学年に女子生徒183名が入学した」と書かれています。この記念誌には男子生徒の記録はありません。

小学5年まで男子2クラス、女子2クラスの小学校でした。疎開先では男子1クラス、女子1クラスで、女子と机を並べた経験はありません。女子と口を利くことが出来ませんでした。

高2と高3の上級生が窓の外からよく眺めに来ました。眺めに来るだけでなく部活動にも女子はよく誘われたようです。後年上級生と結婚した女性もいます。

記念誌には同級の女子が「一番困ったのはトイレ」と書いていましたが、穴ほげ廊下の修理もできないときで女子トイレも用意できていませんでした。これまでの男子トイレの途中に板で仕切り、女子トイレにしていました。

教室以外では女子との接触もなく、教室でも目立つ成績は取ったこともなく、3年間を帰宅部で過ごしました。高校生活は暗いものでした。