子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

T君との思いで

2014年09月13日 | 中、高時代
中学、高校と同級生でその後も今日まで付き合ってきたT君が亡くなりました。

通夜に行くと翌日の葬儀で弔辞を読んでほしいと奥さんから頼まれました。高校卒業後も仲よく付き合っていた友だちのうちY君とH君すでに亡くなっているので、存命はわたし一人だからとわたしに頼まれたのです。

それで葬儀社の人に聞きました。
「弔辞から書きだすのですか」「弔辞という言葉は使いません」
「……最後は合掌で終わりますか」「合掌という言葉も使いません」
「じゃ、なんという言葉で始めますか」 「名前を言って呼びかけから初めてください」
「弔辞も使わないで呼びかけから始め、合掌で終わらないなら、これでお別れの挨拶とします、で終わりますか」
「お別れの言葉もいけません。人間は2度死ぬと言われます。1度が肉体が死んだときです。2度目はその人を思い出すことがなくなったときです。生きている人が思い出す間は死なないのです」
「なるほど…………」

ーT君 君との思い出はたいろいろあるけど、強烈でそして最初の思い出は高1のときに二人で廊下に立たされたことです。組主任で社会科担当のYU先生をなんで怒らせたのか覚えていませんが、授業が終わるまで二人とも廊下に立たされましたね。廊下を通る者にジロジロ見られて、ずっと下向いて立っていました。ー

このあと野球のチームメイトとしての話、会社を退職後の旅行などの思い出を話しましたが、それは省略します。

最後にー思い出がいっぱいです。オレは君を忘れません。夢でもいいから出てきてよ。いつでも待っています。ーで終わりました。

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