子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

カレーライス

2014年09月26日 | 中、高時代
これは昭和21年ごろのこと記憶しています。

叔母さん(おとっつあんの妹)のところへ行ったときのことです。カレーライスが出ました。今では当たり前ですが、銀シャリに肉が入っていました。
ヤミ米をおっかさんが扱うようになってからは銀シャリは見慣れていますが、肉は珍しかったです。

その肉は大きな缶詰に入っていました。今アメリカ系のスーパーにはいろいろ大きな缶詰があるようですが、当時初めて見る缶詰の大きさには驚きました。
そのころからわたしたちは「缶けり」と言う遊びをしたり、缶の底に穴をほがして紐をつけ、竹馬のように乗って遊んだりしました。このときの缶に紐をつけたら天狗さんの高下駄のようになったでしょう。

どうして、叔母さんの家にこんな缶詰があったかと言うと叔父さんが炭鉱で働いていたからです。炭鉱で働く人たちには特別にいろいろな物資が配給されていました。

「丸炭」と言っていました。炭は炭鉱の略でしょうか。それを丸で囲んで、炭鉱で働く人たちを現わしていたようです。
子どもでも「あそこは丸炭でよかもん」とうらやましがっていました。

カレーライスのうまさは覚えていません。缶詰の大きさばかりを覚えています。

叔母さんの家(社宅でした)にはチンチン電車で行きました。その電車と肉のことを思い出しました。それはまた改めて書きます。

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