子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

アオダイショウは音楽好き?

2014年09月30日 | 小学生時代
おっかさんの友だちの一人に町はずれの人がいました(今では近くに多くの家が建ち町はずれではありません)。

そこへ行ったときのことです。
おばさんが話してくれました。
「うちに蓄音器があるとよ。そこにアオダイショウがとぐろまいとっと。びっくりしてシイシイ追い出したっタイ」
「そりゃびっくりしたろう」
「アオダイショウはネズミを捕まえるケン家のためになると言うバッテン、恐ろしかったぁ」
「アオダイショウはおとなしかケン、悪さもせんと言うバッテン。近くで見ると恐ろしかなぁ」

この家は周りの田んぼや畑がありました。蛇も家の中まで来たのでしょう。

蓄音器の上にいたからと言ってアオダイショウが音楽好きかどうかはわかりません。研究者に聞いてみる必要があるでしょう。

わたしは「うちは大丈夫だろか」とおっかさんに聞きました。
「町なかになってしもたケンなあ。横の道を作るときにはヒラクチが何匹もおったゲナ」

ヒラクチは蝮(まむし)のことです。横の道は工場へ行く道路でトラックが通ります。そのトラックにぶら下がって遊ぶこともありました。

それにわが家にも蓄音器があったのです。


肉でホロセ

2014年09月28日 | 小学生時代
カレーライスのことを書いたので、肉を食べたのを思い出しました。(カレーライスもライスカレーと言っていたと思います。どちらでもいいですが)

小学生のころ、昭和16年の戦争開始前と思います。

おっかさんとよそへ行き、その帰りのことでした。
おっかさんが「肉ば買うて帰ろうか」と言いました。肉は滅多に買うことがなかったです。珍しいことです。おっかさんの友だちのところへ行った帰りだったかもしれません。気分のよかったことがあったのでしょう。

大通りの銭湯の近くに肉屋がありました。そこに寄りました。ケースの中には肉は少ししかありませんでした。普段肉は食べません。
竹の皮に肉を包んでもらって帰りました。

翌日に肉を食べました。
ところが、その翌日だったでしょうか、体のあちこちにホロセが出てきました。
ネットの辞書によれば「ホロセはほろしに同じで皮膚に小さなつぶつぶのできる瘡(かさ)」とありましたが、記憶では小さいつぶではなくけっこう大きかったです。
そして痒かったです。

このあと、肉を食べるのは随分後で、カレーライスの中の肉が初めてだったかもしれません。

カレーライス

2014年09月26日 | 中、高時代
これは昭和21年ごろのこと記憶しています。

叔母さん(おとっつあんの妹)のところへ行ったときのことです。カレーライスが出ました。今では当たり前ですが、銀シャリに肉が入っていました。
ヤミ米をおっかさんが扱うようになってからは銀シャリは見慣れていますが、肉は珍しかったです。

その肉は大きな缶詰に入っていました。今アメリカ系のスーパーにはいろいろ大きな缶詰があるようですが、当時初めて見る缶詰の大きさには驚きました。
そのころからわたしたちは「缶けり」と言う遊びをしたり、缶の底に穴をほがして紐をつけ、竹馬のように乗って遊んだりしました。このときの缶に紐をつけたら天狗さんの高下駄のようになったでしょう。

どうして、叔母さんの家にこんな缶詰があったかと言うと叔父さんが炭鉱で働いていたからです。炭鉱で働く人たちには特別にいろいろな物資が配給されていました。

「丸炭」と言っていました。炭は炭鉱の略でしょうか。それを丸で囲んで、炭鉱で働く人たちを現わしていたようです。
子どもでも「あそこは丸炭でよかもん」とうらやましがっていました。

カレーライスのうまさは覚えていません。缶詰の大きさばかりを覚えています。

叔母さんの家(社宅でした)にはチンチン電車で行きました。その電車と肉のことを思い出しました。それはまた改めて書きます。

罰は鼻はじき

2014年09月23日 | 小学生時代
子どものころは遊び放題でした。塾もないし稽古ごともないし(塾やお稽古ごとがあってもわが家の経済では行けなかったです)遊ぶよりほか放課後の時間は過ぎて行かなかったでしょう。

遊びはいろいろやりました。
パチ(めんこ)やラムネン玉(ビー玉)は負けたら自分のパチやラムネン玉をやらねばなりません。

将棋は負けても駒をやるわけにはいきません。独楽(コマ)もそうですね。負けても独楽はやれません(これもなかなか買ってもらえませんから)。

こんな遊びのときには罰があります。「鼻はじき」はそんなときにしました。
親指と人差し指で丸をつくり、人差し指ではじきます。

軽い罰は手のひらを、それより重い罰は手の甲をはじきます。

いちばん重い罰は鼻はじきです。目をつぶって勝者の前に立ちます。勝者は親指と人差し指で丸をつくります。
いつはじくか、いつはじくか、気を持たせながら、じらして鼻をはじきます。

その時間の長短、その痛さ、「鼻はじき」はいやでした。
小、中時代のことです。

野球がいっち好き!

2014年09月16日 | 中、高時代
中学から高校まで近所の仲間とやっていた草野球が人生でいっち(一番)好きでした。こう断言してもいいです。
成績も普通、体力は人並みとは言えず、社会に出ても、鳴かず飛ばず、これからも平々凡々の一生になるでしょう(それを望んでいます)。

そんな人生で、野球をしているときは生き生きしていました。食べることも学校のことも忘れていました。幸せでした。いま思えば人生でいちばん幸せな時期だったと思います。

社会では上司や同僚の顔色を見なければなりません。言葉も気をつけねばなりません。生きていくことが難しいです。あっち向けホイでもないのに、最初からあっち向いている人もいます。

野球にはそんな心配はありません。仲間といかに楽しく、気持ちよく野球をやるかを考えればいいのです。持っている力をより大きく使えるようにみんなで考えていけばいいのです。

社会に出てからは心配、いやなことなどなどたくさんありましたが、野球ではそれがほとんどないのです。
試合を一つ一つは覚えていませんが、嫌な記憶はありません。

野球していたときはよかったなあ、という記憶だけです。

これまでの人生で「野球がいっち好きです!」