子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

虫食い梨と運動会と

2016年10月13日 | 小学生時代
 

ご覧のような梨をもらいました。
上が元の形です。日焼けしたか落下したか分かりませんが、
キズがありました。
キズを取り除いたら下のようになりました。

これを見て、子どものころを思い出しました。

小学生のころ、町角などに虫食い梨を売りに来るオバサンたちがいました。

それを買って帰って剝くと下の梨のようになりました。
運動会にはそれを持って行きました。
きれいな梨を買って、持って行けばいいのでしょうが、貧乏な家庭では
それは買えなかったのでしょう。
わが家で買うのはいつも虫食いの梨でした。
甘味もおいしさもキズなしと同じだったと思います。

今は消毒が届いているので、虫食い梨はないでしょうね。

運動会でもう一つ思い出すのは運動場で霜柱を踏みながら集合していた
ことです。

ズック靴がなく素足で運動場を歩いたり走ったりしていました。
運動会は今よりも遅く行われていたようです。

おまえのチンコどんくらい

2015年12月08日 | 小学生時代
今月4日の金曜日にNHKの福岡発地域ドラマ「いとの森の家・前篇」を
見ていました。
福岡県の糸島での話です。

そのなかで子どもたちがケラを捕まえて、遊ぶ画面がありました。
それがわたしの子ども時代と同じで驚きました。

へえ!同じ遊びがあったんだ。

若い人はケラもご存知ないだろうとネットから画像を借りてきました。



「虫と遊ぶ 2」(2012.08.14投稿)に次のように書きました。
ミミズを取るために土を掘っているとケラがいることもあります。
これを捕まえると必ずする遊びがありました。
それは「○○ちゃんのちんぽはどんくらいか」と唱えながら
ケラの前足が開くのを見て「わあこんくらいゲナ」という遊びです。
ケラは逃げようとしてもがいて足をひろげようとするのでしょう。

ケラの前足を親指と人差し指で「○○ちゃんの」を唱えます。

ドラマの糸島では女の子が「おまえのチンコどんくらい」と言っていました。

わたしたちの町では女の子の遊びではありませんでした。

もしかしたら、糸島ではケラのチンコはどんくらいと尋ねていたのかもしれません?。

女学校は聖域

2015年10月04日 | 小学生時代
わたしたちの遊びの範囲内に女学校がありました。



この地図は昭和30年代の住宅地図の一部です。

この地図よりも20年くらい前の話です。遊び仲間は小学生でした。
女学校の近くには熊笹の竹やぶや空き地がありました。
そこではチャンバラごっこなどをして遊びました。

でも、女学校の中には入りませんでした。
↓のところは、土塀と言うべきか土塁と言うべきか、塀の代わりに高さが3メートルくらい、
幅が1メートル近い、土の壁がありました。

女学校の横をほぼ南北に走っている道路は拡げられたものです。いつかははっきりしません。
余談ですが、道路を拡張するときには、おっかさんはヒラクチ(マムシ)が何匹も出たと話していました。

土の壁はそのときに残されたものでしょう。

わたしと友だちはその土の壁には1,2度上りました。
でも、それから中には入りませんでした。女学校は聖域でした。
中学生まで男女共学でもなく、近所でも女子とは遊びませんでした。女子には近寄りがたく、女学校にも
入りがたかったです。

終戦後、中学生になってから1回か2回、グラウンドで野球をさせてもらいました。

ぶんまわしってご存知?

2015年09月13日 | 小学生時代
小学生のころです。
おとっつあんが「ぶんまわし」と言ったのです。
わたしは分かりませんので、それなに?という感じでした。
コンパスのことだったのです。

方言ではないかと思いました。
明治生まれのおとっつあんは尋常小学校に4年、そのそと4年(これはなんというか知りませんが)
学校に行っています。
おっかさんは最初の4年だけ行ったそうです。

そんなこんなで方言だろうと思ったのです。

成人して、広辞苑をひいてみました。「ぶんまわし」が載っていました。

①円を描くのに用いる具。コンパス。
②まわり舞台
と書いてありました。

方言ではなかったのです。



わたしはひとつ覚えました。「コンパスはぶんまわしと言っていたんですね」

遊動円木で顔面蒼白

2015年08月23日 | 小学生時代
TBS系で放送されている『ナポレオンの村』を見ていました。
村の男たちと都会の女性の合コンがあっていました。
そのなかで吊り橋を渡っているときに揺らして慌てさせるシーンがありました。

このシーンで思い出しました。宮崎県綾町に「綾の照葉大吊橋」があります。
長さが250メートル、高さが142メートルもある吊橋です。
2回ここに行って渡りましたが、下は見られませんでした。

もう一つ思い出しました。小さいころから不安定な乗り物は苦手でした。
遊動円木と言う遊具をご存知ですか。
太い丸太の両端を支柱などに固定した鎖で地面すれすれに水平に吊り下げた大型の遊具です。

わが街には私も乗った遊動円木がありました。残っていないかと見に行きましたが、ありませんでした。
それでネットから写真を借りました。



わたしの場合、公園にあり、円木がもう少し高かったと思います。小学1年生でも足は地面に着きませんでした。
これに二、三人またがると前後に揺らします。

動きがだんだん早くなります。すると気分が悪くなり、顔面蒼白になりました。
それ以後遊動円木には近づかなくなりました。

吊り橋揺らしから厭な記憶を思い出しました