子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

一度の積極

2016年10月31日 | 大人になって
最近物忘れが多くなったのは歳のせいと半ば諦めています。
反対に突然思い出すこともあります。

初恋が終わってから随分時間が経ってからと思います。
内科の医院には常に受診していました。
その時は眼科にも受診していました。病名は記憶におりません。
3年か5年か通院していたと思います。こちらもよく覚えていません。

ただ覚えているのが、これから書くことだけです。
勤めの近くの医院でした。昼休みに治療を受け薬をもらいます。

そこに目のぱっちりした看護婦さんがいました(まだ看護師とは言わない時です)。
小さい医院でしたので、彼女は受け付けもすることがありました。

その日の料金を払うときに彼女にデートの申し込みをしました。
わたしにとっては、たいへん勇気がいることでした。
消極的、石橋をたたいても渡らない、恥ずかしがり屋、そんなわたしが申し込んだのです。

思い出してる今でもその時の心はわかりません。

答えはノーでした。

次のときにもう一度誘いました。そんな積極性はその時だけです。
でも、その時も答えはノーでした。

その後はその眼科医院には行っていません。
もちろん彼女にも会っていません。

青春のただ一度の積極でした。今は彼女の顔も思い出せません。

虫食い梨と運動会と

2016年10月13日 | 小学生時代
 

ご覧のような梨をもらいました。
上が元の形です。日焼けしたか落下したか分かりませんが、
キズがありました。
キズを取り除いたら下のようになりました。

これを見て、子どものころを思い出しました。

小学生のころ、町角などに虫食い梨を売りに来るオバサンたちがいました。

それを買って帰って剝くと下の梨のようになりました。
運動会にはそれを持って行きました。
きれいな梨を買って、持って行けばいいのでしょうが、貧乏な家庭では
それは買えなかったのでしょう。
わが家で買うのはいつも虫食いの梨でした。
甘味もおいしさもキズなしと同じだったと思います。

今は消毒が届いているので、虫食い梨はないでしょうね。

運動会でもう一つ思い出すのは運動場で霜柱を踏みながら集合していた
ことです。

ズック靴がなく素足で運動場を歩いたり走ったりしていました。
運動会は今よりも遅く行われていたようです。