子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

水神さんを怒らせたH君

2013年11月25日 | 小学生時代
H君という高校以来の友人がいました。彼の小学校のときの話です。

学校の敷地内と言っていいのか、道路脇と言っていいのか、わかりませんが、きれいな飲み水が出ていました。

友だちが「ここには水の神様がおらすけん、唾ば吐いたらいけんとバイ」と言いました。
H君は級長でした。元気もんのリーダーでもありました。
「なんのそげんかことはなか。おれが小便はかけてやる」

学校帰りにそこに小便をかけました。

その夜、H君は高熱を出しました。一人息子の彼を心配して両親は医者に担ぎ込みました。
お医者さんは何の熱かわかりません。解熱剤を処方されましたが、熱は下がりませんでした。

H君は飲み水場に小便したことを両親に告白しました。
両親は驚いてすぐに飲み水場に行き、息子の非を誤りました。それから熱は下がったとH君は話してくれました。

下の写真が現在の飲み水場です。平成には水道が普及して水飲み場は必要がなく、荒れたままです。
水の神様はどうされたのでしょう。

心で手を合わせて写真を撮りました。

せんきゃくばんだいのお粗末

2013年11月15日 | 余談
寒くなってきました。熱い風呂に入ってから眠りたい、きょうこのごろです。
わが市で発行されているフリーペーパーによりますと、銭湯は4軒になっているそうです。図書館で調べると昭和36年度の銭湯は56軒もありました。わたしが知っています大通りでも遊び場の1丁目に1軒、遠征していた2,3丁目にそれぞれ1軒、大通りを中心部に向かうと1軒ありました。大通りだけでも4軒ありました。

それがいまでは全市で4軒です。
映画館も銭湯のように減っています。昭和36年には15館ありました。49年度は銭湯は役員の名前しかわかりませんでした。映画館は7館に減っていました。(映画館はいまはシネコンがありますが、一時期映画館がないこともありました)

私見ですが、銭湯が減っていったのはマイホームブームでだんだん新築が増えた時期と一致するのではないかと思います。
銭湯がどんどん減っていったころのお話です。

八「熊さん、聞いたかい。神明湯じゃ、一番客に番台を任すよって」

熊「おれも聞いた、聞いた。客足を増やすてぇ魂胆だろう」

八「最近は客が減っているからなあ」

熊「それで八っあんも客動員の名案でも考えてるんかい」

八「自慢じゃないが、そんなこと考える頭は持ち合わせちゃいないよ」

熊「そう思う。わかるよ」

八「熊さんには名案があるのかよ」

熊「右に同じ」

八「右に同じてぇのはなんだよ」

熊「お前と同じてぇこと」

八「おれは一番客になって番台に座りてぇ」

熊「若いピチピチした女の子が来るだろうな」

八「熟女もいいよ。色気があって。うちのばあさんみたいのはお断わりだが」

ということで、翌日、まだ薄暗いうちに二人とも神明湯に急ぎます。二人は湯の前でぱったり会いました。番台権(番台に座る権利)はじゃんけんにするか、交替にするか、揉めましたが、まず中に入ろうということになり、引き戸を開けました。

番台には与太郎が座っていました。
熊、八「なんで、なんで、どうしてお前が番台にすわっているのか」
与「夕べ熊さんと八っあんの話を聞いていたんで、脱衣所に泊まってた」

先客番台のお粗末でした。

写真は銭湯のイメージです。

干し柿は菓子替わり

2013年11月08日 | 中、高時代


散歩していて上を見ると鈴なりの柿が青空に映えていました。柿はあちこちでそのままになっています。千切る人がいないらしいです。わたしたちの子どものころには考えられないことです。甘柿ならばすでに木に生っていないでしょう。渋柿でも干し柿やあおし柿にして食べました。

わが家では渋柿は干し柿にしました。天気のよい昼間は軒下に下げ、雨の日や夜は家の中に取り込みました。

早く食べごろになるように柿をよく揉みました。揉んで柔らかくなると早く食べられるような気がしたのです。

ズルチンやサッカリンが砂糖の代わりだったころには、お菓子もなく干し柿は菓子の代わりでした。
青空に映える柿を見ながら子どものころを思い出しました。

天の川を見に行きました

2013年11月02日 | 大人になって
今年の4月26日のブログ「肝試し」で「壮大できれいな天の川を見ました。その後天の川を見たことがありません。この年に見たような天の川をもう1度見たいと思っています」と書きました。

現役時代は星を見る余裕がなく、下ばかり見て生きていました。

今見なくていつ見るか、見るなら今でしょ、そう思って八女市星野村の「星の文化館」に10月末に行きました。わが家の近くでは町の灯りが多くて天の川は見えそうにありません。

夜8時ごろ、文化館の外で西から東へと見上げました。多くの星が見えますが、小さい星は見えません。1945(昭和20)年の天の川ほどではありませんでした。文化館の職員さんの話では夏の方がよく見えるそうです。

文化館で撮影の天の川の写真をいただきました。


そのあと、天体望遠鏡で七夕伝説のおりひめ(ベガ)とひこぼし(アルタイル)のほかスバルや木星などを見せてもらいました。

時には、空を見上げて星たちを見るのもいいですね。