子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

駅伝から 逃げる

2015年06月19日 | 中、高時代
体が弱い→引っ込み思案→消極的となるのでしょうか。

石橋をたたいて、普通は渡るのですが、石橋をたたいても渡らない、性格になってしまいました。

疎開のときには「川に泳ぎに行こう」と誘われても行きませんでした。
下の集落には川が流れていましたが、泳いだことも水に入ったこともありません。
恐ろしかったのです。

高校3年の体育の時間に、校庭で200メートルか400メートルの競走がありました。
真面目に一生懸命に走りました。

この時のタイムがよかっのでしょう。駅伝のクラス対抗の選手に選ばれてしまったのです。

わたしの性格です。「どうしよう、どうしよう」「走りきるか(走ることができるか)、途中で具合が悪くならないか」
そんな心配ばかりです。
完走して、タスキを次に渡すイメージはわかないのです。

駅伝競走の日が近づいてきます。

もう待ったなしです。かかりつけのお医者さんに行きました。胃薬をいつももらっていました。

先生に心臓が悪いという診断書を書いてもらって、学校に提出しました。

そのあとの駅伝競走のことは何も覚えていません。だれが走ったのか、どこまで走ったのか、覚えているのは駅伝から逃げたことだけです。

お灸の痕

2015年06月05日 | 中、高時代
体が弱かったことは前にも書きました。

よく風邪を引きました。そして扁桃腺が腫れるのです。
熱もよく出ました。

腹もよく痛めました。下痢もしました。

痩せて、ひょろひょろでした。

虚弱児でした。それがそのまま大きくなったので、上背はあるのに痩せで骨ぼそです。
秋のススキみたいです。

おっかさんはいつも心配してくれていました。
中学生のころ(たぶん)お灸をしに連れていかれました。魚の骨を取りに連れていかれた西藤病院からそんなに遠くないところだったと思います。

お灸は背中にされました。2列に4点、灸をされたと記憶しています。熱かったです。

苦い薬も何回も飲みました。でも、この灸の熱さは格別でした。
今も、毎週鍼と灸の治療を受けていますが、最近の灸は熱さを抑えてあります。楽です。

子どもの時の灸は痕が残り、後々まで銭湯や温泉に入るときに友人にいろいろ尋ねられました。
子どものときにお灸をした者は周りにはいませんでした。珍しがられて話の種にされました。