子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

遊動円木で顔面蒼白

2015年08月23日 | 小学生時代
TBS系で放送されている『ナポレオンの村』を見ていました。
村の男たちと都会の女性の合コンがあっていました。
そのなかで吊り橋を渡っているときに揺らして慌てさせるシーンがありました。

このシーンで思い出しました。宮崎県綾町に「綾の照葉大吊橋」があります。
長さが250メートル、高さが142メートルもある吊橋です。
2回ここに行って渡りましたが、下は見られませんでした。

もう一つ思い出しました。小さいころから不安定な乗り物は苦手でした。
遊動円木と言う遊具をご存知ですか。
太い丸太の両端を支柱などに固定した鎖で地面すれすれに水平に吊り下げた大型の遊具です。

わが街には私も乗った遊動円木がありました。残っていないかと見に行きましたが、ありませんでした。
それでネットから写真を借りました。



わたしの場合、公園にあり、円木がもう少し高かったと思います。小学1年生でも足は地面に着きませんでした。
これに二、三人またがると前後に揺らします。

動きがだんだん早くなります。すると気分が悪くなり、顔面蒼白になりました。
それ以後遊動円木には近づかなくなりました。

吊り橋揺らしから厭な記憶を思い出しました

防火水槽

2015年08月05日 | 小学生時代
この稿は2012年12月9日投稿の「空襲対策」の続きです。

その中で空襲による消火のために水を溜めておく防火水槽がありました。
その水槽を探しましたが見つかりませんでした。見つけたら写真をお見せしますと書きました。
その水槽が見つかりました。下の写真が防火水槽です。



上辺は84センチ×54センチ、深さは64センチありました。

近くにいた若い人が「水用火防ってなんですか」と聞きました。
「右から読むのよ。防火用水。70年前、アメリカの空襲に備えて、水を溜めていたのよ」と答えました。

分かってくれたかどうかは、わかりません。

前にも書きましたが、この水槽の横には2メートルくらいの竹竿の先に縄を巻いた火消の道具を立てかけていました。
焼夷弾が落ちたら縄の部分を水槽につけてから消火するように指導されていました。

あとあとニュースなどでアメリカの空襲の場面を見たことがります。焼夷弾が雨あられと表現されるように落ちてきます。
これを竹竿の先の縄で消せるとは思えませんでした。