1945(昭和20)年12月ごろだったと思います。
義兄さんが訪ねてきました。このときはかあちゃんもいました。かあちゃんは空襲がひどくなっても独りで町にいて働いていました。いつもは町の家にいるのですが、このときはかあちゃんも疎開先に来ていました。義兄さんから話があるからと、連絡があっていたのかもしれません。
義兄さんはこれからは学歴も大事だから、中学を受験するように勧めに来たのです。義兄さんは高等小学校を出て、夜間中学校で勉強しながら大会社に勤めた人です。
かあちゃんは手に職を持つのがいいと、技術系に進むのがよいと考えていました。自分が働いているところが会社の建設部というところで、大工さんや左官さんを見ていました。手に職を持っていれば食いはずれがない、との思いが強かったのです。
それでも義兄さんの経歴や説得でかあちゃんも受験を認めました。それも工業や商業ではなく普通中学を受験することを。
義兄さんが訪ねてきました。このときはかあちゃんもいました。かあちゃんは空襲がひどくなっても独りで町にいて働いていました。いつもは町の家にいるのですが、このときはかあちゃんも疎開先に来ていました。義兄さんから話があるからと、連絡があっていたのかもしれません。
義兄さんはこれからは学歴も大事だから、中学を受験するように勧めに来たのです。義兄さんは高等小学校を出て、夜間中学校で勉強しながら大会社に勤めた人です。
かあちゃんは手に職を持つのがいいと、技術系に進むのがよいと考えていました。自分が働いているところが会社の建設部というところで、大工さんや左官さんを見ていました。手に職を持っていれば食いはずれがない、との思いが強かったのです。
それでも義兄さんの経歴や説得でかあちゃんも受験を認めました。それも工業や商業ではなく普通中学を受験することを。