子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

聴診器を当てられた

2016年12月07日 | 余談
最近のことです。

かかりつけのお医者さんに聴診器を当てられました。

以前、いまどきのお医者さんはなかなか聴診器を当てないと
書きました(2013.07.13 聴診器を当てられる)。

それが今回、かかりつけのお医者さんに聴診器を当てられたのです。
わたしとしてはビックリポンの心境です。

上の血圧が110台になったりちょっとふらついたりしました。
それを診察の時に言うと、まず心電図を撮られました。

そのあと、お医者さんの診察になりました。
「心電図には異常ありませんね。ちょっとシャツを上げてください」

先生は壁に掛かっている聴診器を取ろうとしました。うまく取れません。
いつもデータを見ての診察で聴診器を使われないので、聴診器もいやいや
しているようでした。

聴診器を取ってから開いた胸にちょっと当てて、「異常はありませんね」
それで終わりでした。

十数年、この先生ですが、聴診器を当てられた記憶がないのです。
初めてかなぁ、前はいつだったか、思い出せません。

ソクラテスとその妻

2015年12月23日 | 余談
『火垂るの墓』の野坂昭如さんが亡くなられました。

追悼で野坂さんが歌ったサントリーゴールドのCMも流されていました。

「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか
 みんな悩んで大きくなった」

この歌を聞いていたらソクラテスの話を思い出しました。本で読んだか
誰かに聞いたか、はっきりしません。それで正確を期するなら調べてから
他人には話してくださいね。!(^^)!

こんな話です。

ソクラテスの奥さんは悪妻でした。
ソクラテスにいつもガミガミ言っていました。
ソクラテスはそれに反論しなかったそうです。

あるとき、ガミガミだけでは満足しなかったのか、ガミガミ言った後に
ソクラテスに頭から水を浴びせたそうです。

弟子があんまりだと言うとソクラテスは次のように言って泰然としていたといいます。

「雷の後には雨が降るものさ」

今回これを書くためにソクラテスの名言、格言を調べてみました。その中に、

「とにかく結婚したまえ。
 良妻を持てば幸福になれるし、
 悪妻を持てば哲学者になれる」

 
むべなるかな。

団子とまんじゅうの間

2013年12月26日 | 余談


写真はおやつあるいはお菓子と呼んでいいでしょうか、肥後と筑後南部の食べ物です。
カライモ(甘藷)を輪切りにして餡(あん)をのせ柔らかくした小麦粉で包み、蒸かしたものです。肥後(熊本県)ではいきなり団子と言い、筑後南部(福岡県)ではいきなりまんじゅうと言います。

もともと餡は入っていませんでした。腹がへったときに食べるものでした。熊本県のあるところではみそ汁にも入れていたそうです。あるお菓子屋さんに聞くと、50年くらい前から餡入りになったそうです。

熊本県のユルキャラ・くまモンの人気で先日東南アジアでいきなり団子が売られているのをテレビで見ました。
すごいことです。

団子とまんじゅうの呼び名は山一つ越えると変わります。もしまんじゅう圏から団子圏へ売りたいときにはなんと名前を付けるでしょうか。「いきなりまんじゅう」とする、いや「いきなり団子」とその地方の名前を付ける、さあどうでしょうか。
実際いきなりまんじゅうを作っているお菓子屋さんが団子圏のスーパーで売っていました。

わたしは見ました。さすがァお菓子屋さんは知恵者です。「いきなり」としていました。

わたしはいまはまんじゅう圏に住んでいます。疎開のときや先祖は団子圏にいました。肥後に親密感を持っています。いきなりまんじゅうも好きです。

せんきゃくばんだいのお粗末

2013年11月15日 | 余談
寒くなってきました。熱い風呂に入ってから眠りたい、きょうこのごろです。
わが市で発行されているフリーペーパーによりますと、銭湯は4軒になっているそうです。図書館で調べると昭和36年度の銭湯は56軒もありました。わたしが知っています大通りでも遊び場の1丁目に1軒、遠征していた2,3丁目にそれぞれ1軒、大通りを中心部に向かうと1軒ありました。大通りだけでも4軒ありました。

それがいまでは全市で4軒です。
映画館も銭湯のように減っています。昭和36年には15館ありました。49年度は銭湯は役員の名前しかわかりませんでした。映画館は7館に減っていました。(映画館はいまはシネコンがありますが、一時期映画館がないこともありました)

私見ですが、銭湯が減っていったのはマイホームブームでだんだん新築が増えた時期と一致するのではないかと思います。
銭湯がどんどん減っていったころのお話です。

八「熊さん、聞いたかい。神明湯じゃ、一番客に番台を任すよって」

熊「おれも聞いた、聞いた。客足を増やすてぇ魂胆だろう」

八「最近は客が減っているからなあ」

熊「それで八っあんも客動員の名案でも考えてるんかい」

八「自慢じゃないが、そんなこと考える頭は持ち合わせちゃいないよ」

熊「そう思う。わかるよ」

八「熊さんには名案があるのかよ」

熊「右に同じ」

八「右に同じてぇのはなんだよ」

熊「お前と同じてぇこと」

八「おれは一番客になって番台に座りてぇ」

熊「若いピチピチした女の子が来るだろうな」

八「熟女もいいよ。色気があって。うちのばあさんみたいのはお断わりだが」

ということで、翌日、まだ薄暗いうちに二人とも神明湯に急ぎます。二人は湯の前でぱったり会いました。番台権(番台に座る権利)はじゃんけんにするか、交替にするか、揉めましたが、まず中に入ろうということになり、引き戸を開けました。

番台には与太郎が座っていました。
熊、八「なんで、なんで、どうしてお前が番台にすわっているのか」
与「夕べ熊さんと八っあんの話を聞いていたんで、脱衣所に泊まってた」

先客番台のお粗末でした。

写真は銭湯のイメージです。

昭和初期の料理カルタ

2013年09月22日 | 余談
わたしの「中、高時代」は昭和21年以降ですが、面白い料理カルタを見たのでそのことを書きます。

最近カルタ館で見たカルタです。後で書きますが、昭和8年の教科書に横に置かれていましたので、そのころのカルタかもしれません。11組展示してありました。そのうちの6組です。

読み札「年よりに 大根おろしを すすむれば ますます長命出来る めでたさ」
取り札(文字だけ)「ますます ちやうめい できるめでたさ」

読み札「安い肉 こなれわるしと 馬鹿にする たたけばやをく こなれよくなる」
取り札「たたけば やをく こなれよくなる」

読み札「鰯をば 国益魚と名づけけり 安くて人を こやす魚とて」
取り札「安くてひとを こやす魚とて」

読み札「ご飯焚き ふきこぼすなよ おねばりを あれはお米の滋養なりけり」
取り札「あれは お米のじやうなりけり」

読み札「バケツには塩けのものは禁物ぞ 亜鉛がとけて すぐに破ぶれる」
取り札「あえんがとけて すぐにやぶれる」

読み札「お国には米が足らぬぞ 麥めしや 菜飯 混食 常に守れよ」
取り札「なめし 混食 つねに守れよ」

横に展示してあったのが、昭和8年の『高等小学家事教科書』でした。家事科は1926(大正15)年に高等科女子の必修科になり、科学的な内容、家庭生活の合理化、当時盛んだった生活改善運動を反映しているものになっていたそうです。

カルタにもそれが反映しているようです。

*カルタは旧仮名づかいです。すすむはすゝむ、ますますはます~と表記されていました。国も旧字で國です。すったくしました。