子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

三角ベース・チームバランス

2013年07月28日 | 中、高時代
三角ベースの野球で書き忘れたことがあります。
三角ベースの野球はうちうちの遊びみたいなものでした。勝ち負けよりも、仲よく楽しくをモットーにしました。

チームはだいたい同じくらいの強さになるようにバランスを考えました。打力は同じくらいか。ピッチャーは両チームにいるか。
同級生だけで野球をする場合はジャンケンでチームをわけてもいいのですが、学年がバラバラで上手下手もありますので、バランスをできるだけ考えて二つのチームにわかれました。
一方が明らかに優勢だと片方は面白くありません。

そのときにいた上級生がチームわけをしました。これで揉めることはありませんでした。

三角ベースの野球で忘れられないことがもう一つあります。

それはまあちゃんとふうちゃん兄弟の両親が熱心に見ていたことです。まあちゃんたちの家は学校の柵からもっとも近いところにありました。柵のところから三角ベースはよく見えました。両親はよく見られていました。ふうちゃんがいきいきと楽しそうに野球をしていたのがうれしかったのではないかと思っています。

三角ベースのルール

2013年07月26日 | 中、高時代
わたしたちの遊び仲間は、3つの隣組にわかれていました。

わたしと徳ちゃん、ともちゃん、えいちゃんが同じ上の隣組、まあちゃん、ふうちゃんの兄弟、せいちゃん、りゅうちゃんが中の隣組、としちゃん、しげちゃん、じゅうちゃんが下の隣組でした。三角ベースから軟式野球になっていくのですが、この仲間がベースになってチームが出来ていくのです(それはまだ後のことですが)。

この中では中1のわたしが一番の年長で、えいちゃんは小1だったと思います。
年齢の差があるので、えいちゃんや1年上のせいちゃん、りゅうちゃんが打席に立つときはソフトボールのように下から投げて打ちやすいようにしました。

野球ではファインプレーもうれしいですが、やはり打者でヒット打つことが一番うれしいです。軟式野球になってからは、スコアブックをつけて打率を競うようになりました。ファインプレーは記憶に残っても、記録には残りません。ヒットや長打は記憶にも記録にも残ります。

まだ、三角ベースのルールがありました。ふうちゃんは片方の足が不自由でした。ふうちゃんにはピッチャーか一塁手をしてもらいました。ふうちゃんがピッチャーのときはバンドはしないと決めていました。打者になるときは、代走がふうちゃんが打つと同時に1塁へ走りました。
これは軟式野球になっても同じように取り決めました。

軟式野球はよそのチームと試合をするようになりますが、ふうちゃんの場合対外試合も相手チームに代走を認めてもらいました。守備は1塁を守りました。

小学校をホームグラウンドにしっかり草野球をしました。遠征もしました。

野球は三角ベースから

2013年07月23日 | 中、高時代
チャンバラごっこ、隠れ鬼、トンボとりなどなど、いっしょに遊んでいた近所の友だちはみな無事でした。わたしが疎開先から元の家に帰ったころには友だちもそれぞれ元の家に帰っていました。

元よりも2人増えていました。空襲に遭った仕立て屋さんの子ども(男の子)が引っ越して来ていました。弟のふうちゃんは足が不自由でした。

初めは三角ベースの野球でした。7,8人、多くても10人くらいの遊び仲間です。人数を二つに分けると1チームは3人から5人です。

小学校の西の運動場がホームグラウンドでした。そこに三角ベースを描いて、遊びました(試合をするのですが、最初は遊びみたいでした。

みんなの家は庶民でした。金持ちはありませんでした。野球の道具は買えませんでした。

それで最初はバットもグラブも手作りでした。バットはタキモン(たきぎ)を肥後守(ひごのかみ)で削って作りました。不格好なバットでした。

ボールは芯にラムネン玉(ビー玉)を入れ、それに糸を巻き付け、それを綿で包み、それをドンゴロス(厚手の、固い生地の名前)をボール風に切りかぶせて縫い合わせました。

最初は素手で掴んでいました。その後、グラブも作りました。

三角ベースの野球にもわたしたちの流儀がありました。それは次回に。

77. 欠けかわらでの遊び

2013年07月18日 | 中、高時代
近くに爆弾が落ちて、わが家は柱が傾き、雨漏りもしていました。雨漏りを補修するかわらがありませんでした。古い欠けたかわらが保存してあり、補修に使いました。それでは雨漏りがピタッとは止まりませんでしたが。

使えない欠けかわらもたくさんありました。それを使って遊びました。

1.まずかわら倒しがありました。
これは個人戦もチーム戦もできます。同じくらいの大きさのかわらを探してきます。3メートルくらい離れて(それ以上離れてもいい、近すぎると面白くない)平行線を引きます。この線上にかわらを立てます。ジャンケンで先攻を決め、相手のかわら目がけてかわらを投げます。当ってかわらが倒れたらよし。倒れなかったら攻撃を交替します。

かわらが倒れたとします。次は線内にかわらを投げ、ヒッゲンギョ(片足立ち)で跳び、かわらを踏みます。踏めたらその姿勢でかわらを取り、それで相手のかわらを倒します。

それをクリアしたら、2歩のヒッケンギョ、3歩のヒッケンギョがあり、そのあとかわらを腕に載せる(ここからは空襲と言っていました)、肩に載せる、頭に載せる、股にはさむなどがありました。

2.隠れ鬼にかわらを使うこともありました。これは熊本に遊びに行き、初めて知った遊び方です。
地面に円を描き、円内を何等分かに分けます。5等分とか6等分とか。そこに○○さんとこの玄関とか共同水道とか、近くか遠くか書き込みます。
円から2メートルくらい(近くてもよい)のところに線を引き、鬼はここから円内にかわらを投げ、入ったところに書かれた場所にタッチしに行き、それから逃げた者を探します。

3.短いエンピツのところでも書きましたが、かわらでもコマを作る人がいました。割れて小さくなったかわらをコンクリートとすり合わせて円錐形にしてコマのように回しました。これは根気がいりました。わたしはできませんでした。

76.だました人が悪いのか

2013年07月17日 | 中、高時代
ボロ校舎で墨塗り教科書で勉強を始めたが、すぐに中間テストになりました。
中間テストが終わり、成績がそれぞれの先生から発表されると級長がわたしのところに来ました。

「成績は何点じゃったね。それぞれ教えあおい」
「よかタイ」
「そんなら君から」

わたしは各教科の点数を教えました。

「今度は級長の番タイ」
「おれは言わん」そう言いながら走って逃げました。

6月24日の衆院本会議で民主党の野田佳彦前首相が選挙制度改革の問題を持ち出し、自民党の姿勢をただしました。その中で「歌の文句じゃないが、だました人が悪いのか、だまされた私が悪いのか」と。

60数年前のわたしも同じ心境でした。だました級長が悪いのか、だまされたわたしが悪いのか。お人よしのわたしはほぞを噛みました。そんなことがこのあとの人生には何回もありました。

級長とはこのあと話はしませんでした。