子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

ふなやきから一銭洋食へ

2015年05月18日 | 大人になって
ふなやき」は主食ではないですが、主食的な食べ物でした。食べて一時的でも腹を満たしました。
少しでも腹を満たすように作っていました。ふくらし粉を入れて少しでも厚くなるようにも作られていました。

食糧事情がよくなるとふなやきから一銭洋食を作るようになりました。

「一銭洋食」は最初からオヤツだったと思います。
一銭洋食とどうして言うのか知りません。洋食は西洋の食べ物という意味でしょうが、どこが西洋でしょうか。一銭は安いということでしょうか、これもよくわかりません。

一銭洋食は小麦粉と何種類かのトッピングで作りました。

小麦粉を水で溶きます。「ふなやき」よりも柔らかく溶きます。
これを油をひいて温めたフライパンに流し込みます。「ふなやき」よりも薄くです。
熱で乾いてしまわないうちに、上に削り節、とろろ昆布、小ネギなどトッピングを載せ、はけで醤油を塗ります。
裏返して、火が通ったら二つか三つに折りたたんで、出来上がりです。

「一銭洋食」は今のようにケーキが食べられない時代、昭和の30年代のわが家ではまだそうでした。おやつでした。
わたしも子どもたちも喜んで食べたものです。

懐かしか 「ふなやき」

2015年05月04日 | 中、高時代
帚木蓬生著『天に星 地に花』を読んでいたら懐かしい食べ物に出会った。

ー(治療で庄十郎に世話になった)老女が竹の皮に包んだ物を差しだす。
「ふなやきです」
竹皮包みの中を覗き込もうとしている庄十郎に老女が言う。
「ふなやき」
久しぶりに耳にする食い物の名だ。母が事あるごとに作ってくれたのを思い出す。城島町に行ってからは、口にしていない。同じ久留米領内でありながら、郡が違えば食物も違うのだ。
麥粉を練って、薄く焼いたものに味噌を挟んだ紛れもないふなやきだった。母は稀に、貴重な黒砂糖を入れてくれていた。その味は子供心にもその味は格別だった。-

ふなやき、わたしにも懐かしい食べ物です。
小麦粉に水を入れて練って、油を引いて熱したフライパンで薄く焼いたものです。

わが家では黒砂糖を入れたものはなかったです。黒砂糖は貴重でしたから。
せいぜいふなやきに挟むのはイモの練ったくりでした。イモの練ったくりというのは甘藷を蒸かして、それを潰すのです。
甘くて、うまかったです。

懐かしか、ほんとに懐かしかです。わたしもおっかさんを思いました。

帚木蓬生さんの著作からわたしもふなやきを思い出してよかったです。