子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

下屋の下にタカラモノ埋蔵

2014年08月29日 | 中、高時代
前回「下屋を作って勉強部屋にした」と書きました。そのあと下屋(げや)がわからない人がいるのではと思いました。
それであちこち車から見たり散歩しながら見つけたりしました。
最近の高層住宅には下屋はもちろんありません。2階建ての住宅にも下屋は見られません。
写真ではお見せできませんが、ネットで検索すると「おもやの屋根より一段下げた位置に取り付けられた片流れの屋根またはその下にある空間」とありました。

これでわかりますかね。見つけたら後日でも紹介します。
昭和には荷物が増えたり住む人が増えたりしたら、よく下屋を作ったものです。

わが勉強部屋を作るときに小さいころから集めていたラムネン玉(ビー玉)が机の引き出しにいっぱいありました。わたしのタカラモノです。
これは今後増やしたり減らしたすることはないだろうと思いました。

長年貯め込んだものです。

下屋の下になるところに埋めました。その後のことは知りません。

バットを置く

2014年08月21日 | 中、高時代
高3の夏休みか夏休み後のことと思います。

義兄が家に来て「大学に行くように」と勧めました。「これからは大学を出ていないとダメ」と言います。中学を受験するときにも高校へ進学するときにも義兄はそう言いました。

おっかさんは娘婿には一目も二目も置いていました。近くには大学を卒業した人はいませんでした。大学がどんなところで金がどんなにいるかも知りませんでした。わたしも知らなかったのでそれは当然でしょう。

下屋を出してそこに二畳くらいの部屋を作り、勉強机を置いてくれました。ここが勉強部屋になりました。

わたしは得意な学科はありませんでした。大学を卒業してもどんな仕事をしたいかという目標もありませんでした。ただできるだけ費用の掛からない大学へ行かねばならないと思いました。

好きな野球はこれで出来なくなると決意しました。
チームのみんなに野球をやめることを告げ、ベース、バット、ボールなどを引き継ぎました。

まだ塾もないころです。
参考書もあまりなかったと思います。

勉強は教科書を読み込むだけです。

これで子ども時代は終わり勉強に専念するはずでしたが、そうはなりませんでした。もう少しお付き合いください。

ツレは原子雲を見た

2014年08月09日 | 小学生時代
69年前のきょう(8月9日)は長崎に原子爆弾が落とされた日です。

ツレ(かあchan)は当時国民学校5年生でした。長崎に原爆が落とされた時間、11時2分に家の外に出ていたそうです。
有明海の向こうに茜色の、今まで見たことがない雲が見えたそうです。
母親といっしょにいましたが、親も初めて見る雲の色に不吉を感じて「急いで家の中に入ったがよい」と言い、親に急かされて家に入ったと言います。
今でも脳裏にはっきり残っていると広島と長崎に原爆が落とされて日には話します。

もう一つ、わたしが経験していないことを経験しています。
何日かははっきりわからないが、機銃掃射を受けたというのです。市の北部の産業道路(今は国道といいますが当時はこう言っていました)を歩いていると突然アメリカの飛行機が近づき、機銃掃射をしたそうです。
あわてて道路の横の側溝に身を伏せて飛行機をやり過ごしたと言います。

このときの怖さは今でも忘れられないとツレは言います。

疎開していたわたしにはひもじい経験はありますが、こんな経験はありません。「よく命があったね」と言うばかりです。