朝ドラ「ごちそうさん」の評判がいいようです。ツレは毎朝目を凝らして見ています。わたしもときどき覗きこんでいます。
ツレが近所の子どもにもおやつを食べさせるシーンを見て心の広いヒロインだと感心し、「うちではそげんじゃなかった」と耳タコの話を繰り返します。
「戦後焼け出された叔母さんたちがしばらく同居された。叔父さんは国鉄(JRの前身)勤務だったので米がよく手に入ったようで、叔母さんの家族は白米を食べていた。叔父さんがわたし(4人兄弟の末っ子)とばあちゃん(叔母さんの実母)に1杯ずつやらんかと言われるけど、叔母さんは決してやらっさんじゃった」
「お互いのちゃぶ台はすぐ横にあるので食べているのもわかるのよ」
ツレは結婚以来なんどもこの話をします。
親にも食べ物をやらない時代に近所の子どもにまで食べ物をやるのは考えられない、という意見です。「ごちそうさん」は昭和19年秋ごろまで進んでいますが、食べ物がなかったのは戦後すぐも同じだったでしょう。
わたしが見ていて気になったのは建物疎開のシーンです。
わが市では工場の周辺から建物疎開(強制疎開と言いました)が始まりました。化学工場のすぐ横に小さい川があり、それに沿って狭い道がありました。その道沿いが最初に壊されました。
昭和20(1945)年には表通りと工場へ通じる道も壊されていきました。
「ごちそうさん」ではお上に文句を言いに行く人がありました。昭和19,20年ごろにそんな人がいたのだろうかとわたしは疑問に思いました。お上の言うことはなんでもごもっともで、盾つく者は非国民と言われました。
表通りで家が煙草屋を営んでいたT君は建物疎開になりわたしと同じ日(5年生の終業の日)に転校しました。
ツレが近所の子どもにもおやつを食べさせるシーンを見て心の広いヒロインだと感心し、「うちではそげんじゃなかった」と耳タコの話を繰り返します。
「戦後焼け出された叔母さんたちがしばらく同居された。叔父さんは国鉄(JRの前身)勤務だったので米がよく手に入ったようで、叔母さんの家族は白米を食べていた。叔父さんがわたし(4人兄弟の末っ子)とばあちゃん(叔母さんの実母)に1杯ずつやらんかと言われるけど、叔母さんは決してやらっさんじゃった」
「お互いのちゃぶ台はすぐ横にあるので食べているのもわかるのよ」
ツレは結婚以来なんどもこの話をします。
親にも食べ物をやらない時代に近所の子どもにまで食べ物をやるのは考えられない、という意見です。「ごちそうさん」は昭和19年秋ごろまで進んでいますが、食べ物がなかったのは戦後すぐも同じだったでしょう。
わたしが見ていて気になったのは建物疎開のシーンです。
わが市では工場の周辺から建物疎開(強制疎開と言いました)が始まりました。化学工場のすぐ横に小さい川があり、それに沿って狭い道がありました。その道沿いが最初に壊されました。
昭和20(1945)年には表通りと工場へ通じる道も壊されていきました。
「ごちそうさん」ではお上に文句を言いに行く人がありました。昭和19,20年ごろにそんな人がいたのだろうかとわたしは疑問に思いました。お上の言うことはなんでもごもっともで、盾つく者は非国民と言われました。
表通りで家が煙草屋を営んでいたT君は建物疎開になりわたしと同じ日(5年生の終業の日)に転校しました。