黍生山の村夫子 (きびゅうやまのソンプウシ)

黍生山の村夫子が「蜂を追っかけた」とか「山が笑った」とか言ってます。

藤の回廊・付録もあるでよ

2016年05月10日 04時18分28秒 | 日記
昨日のつづきです4月29日三国山の帰りに隣町・藤岡町の藤の回廊に廻ってみました


毎年ローカルニュースでやるのですが藤にそんなに興味が無いので行きませんでした


ニュースの度にカミが何か言うので見に行きたいのかなぁ


だからって態々出かけるのも面倒だしそれに混雑するし


そんなんだったら黍生山に登っている方がいいもん


で今回一寸回り道するだけだたので


一寸早かったので閑散として…よりもう一寸人が多かったかな


まあそれなりにキレイだけどこんなのが続いているだけです


終点間近道下の砂防堰堤のダム湖に大きな錦鯉がイッパイ
そう言えば学生時代大家の池の錦鯉を喰った友達が居たなあ
「醤油持って来い!」って言うので持って行くと 電熱器の上で暴れる錦鯉を押さえていました


最後の白藤はまだまだ早かったです

付録
以前から凄いと思っていた方の漢詩をUPしようと思いました
この詩は七言律詩なので一寸長い上に難解なのでUPを躊躇していました
熊本大地震とTombeeさんの俳句の先生の漢詩を見てUPをきめました
誤訳してはいけないので今回は書き下し文、現代語訳も原文をそのまま転載させて戴きました
ただ一部赤字にだけかえました

三月十一日即事(追悼東日本大震災一周年)   三月十一日即事(追悼東日本大震災一周年)
玄齋 (上平聲十一眞韻) 
勿謂繁辭弔死人 訥言何足慰傷神       
期年壯者陳千慮 拱手病夫愁一身       
忘世養生非體道 苦躬憂國欲成仁
既知餘命閑吟裡 推察蒼氓追悼辰

●書き下し文
謂(い)う勿(なか)れ繁辞(はんじ)にて死人を弔(とむら)うと
訥言(とつげん)は何ぞ傷神(しょうしん)を、慰(なぐさ)むるに足(た)らんや。

期年(きねん)にて壮者(そうしゃ)は千慮(せんりょ)を陳(の)べ、
拱手(しょうしゅ)して病夫(びょうふ)は一身(いっしん)を愁(うれ)う。

世(よ)を忘(わす)れて生を養(やしな)うは道(みち)を体(たい)するに非(あら)ず、
躬(み)を苦(くる)しみて国を憂(うれ)えて仁(じん)を成(な)さんと欲(ほっ)す

既に餘命(よめい)を知る閑吟(かんぎん)の裡(うち)、
推(お)して蒼氓(そうぼう)を察(さっ)する追悼(ついとう)の辰(とき)。

●現代語訳:
くどくどしく飾り立てたような言葉で死者を弔うなどと言ってはいけないのです。
かと言って、巧みとは言えない言葉によって、どうして悲しみ傷ついた人たちの心を、慰めることができるでしょうか。

この一年が過ぎて、働き盛りな男の人たちはいろんな心配事を言い尽くすようなひどい状況であるのに、
病気にかかった一人の男(私)は、何もすることができずに自分の身を心配するのが精一杯というありさまなのです。

世の中を離れて、自分の健康だけを考えて療養するというのは、決して世の中の道理を行うことにならないのです。
自分の身が苦しんでいる中で、今の国のありさまを心配して、「仁徳(じんとく)」、つまり人をいつくしむ徳を、
今でもなし遂げたいと思っているのです。


すでに私自身の残りの寿命を知って、静かにゆったりと詩句を口ずさむ中で、
多くの国民のことを推しはかって知る、そんな追悼の時を迎えていました。