黍生山の村夫子 (きびゅうやまのソンプウシ)

黍生山の村夫子が「蜂を追っかけた」とか「山が笑った」とか言ってます。

五本木の橋のその先

2011年01月29日 02時20分24秒 | 日記
 
懲りもせず一昨日の続きを
後年あの時の事を時折り思い返す
母が「あんなに悔しかった事は無かった」と言っていたが実はバカもあんなに悔しかった事はなかった
子供の頃バカは何時も誰かと衝突していた父には四六時中怒られていた世界で自分が一番偉いと思っているからいつも威張っていた他所の大人から見たらデカイ事ばかり言っている面白いガキだったのだろう結構可愛がられたところが親はそうは行かないで父は怒るのだが 母は怒らない諭す事はあっても怒らないそれがバカには悔しい怒られれば反発するのだが母は怒らない「下がって着いて来いと」言うと「これでいいかい」とすぐに下がる暖簾に腕押し 糠に釘であるこの時初めて敵わない人が居る事を自覚したのだと思う自分より強い人が居るしかも威張って無いそれがバカには許せなかったのだと思う

そこでハッと思い当たる人が居た
カミである
その昔父にTELで結婚する事を伝えた時「どんな人だ?」と聞かれ「右を向け!と言ったら3日でも右を向いている人だ」と答えた
確かにそうなのだ争う事が大嫌いだから反発しないバカと正反対である何をしても「うん、うん」と言う決して反対しない
余りに反発しないのでバカは不安になってくる「この人本当に満足してるのだろうか?」「本当に納得しているのだろうか?」
それ以来バカはカミの意思を確認するようになった「こうしようと思うのだけどどう?」「ここへ行こうと思うのだけどどう?」
今ではカミにお伺いを経てないと事は進まなくなってしまった

「これはあの時の母だ!」と思う無抵抗の強さを知ったガンジーの偉大さを実感した

だからバカは五本木の橋のその先に未だに佇んでいるのだ
進歩が無いのだ








母の棺に入れた物

2011年01月27日 01時44分20秒 | 日記
 
葬儀の3日前兄からTELで「棺に入れたい写真があったら持って来るように」と言われた
翌日には帰省しなければならないそれまでに仕事を片付けねばならない死人に都合無し!だ仕方が無いので父母のダイヤモンド婚式の集合写真を一枚後は適当なのが無いので上の一枚を急遽撮影

バカが4歳の時である母は何時もの様に1歳の妹をおんぶしバカを連れてぶどう園の父にお茶を届けようとしていたお茶と言っても大きな薬缶いっぱいのお茶お菓子漬物煮物結構な量であるその日は少し遅れていた急ぎたいのだが世界で一番偉いと思っている4歳のバカ息子が前を歩いている
五本木(ゴホギ)の橋を渡って少し行くと上り坂になる当然4歳のバカの速度が落ちる急いでいた母はバカの踵を踏んでしまった踏まれたバカは怒り心頭母を怒った後2m程間隔を開けて来いと言う言うことを聞いてやらないとこのバカ息子は何処へでも行ってしまう何でも壊す泣いてのた打ち回る手に負えないのだ
止む無く母は遅れて付いて行くのだが気が急いている為どうしても間隔が縮まるするとバカは元の場所まで戻れと言う後に母は
「あんなに悔しい事は無かった!」
と言って居られました

で上の写真を撮影した甲州弁で「もう1回位だったら、踏んでもいいよ」って言っておいたが母は「もうあんな思いはしたくない!」って言ってるかも
ところでこの写真をみた父と兄妹は一斉に
「お前の靴の踵がこんなにちゃんとしている事は無かった何時も踏み潰されていた!」



そのかみの

五本木の橋の

その先で

吾は未だに

佇んで居り 


写真と一緒に棺に入れて貰ったバカの一首です。

パジェロミニ爆走!

2011年01月26日 03時38分19秒 | 日記
 恵那山
一週間振りのUPです
1年の闘病生活の末山梨の母が旅立った
12日に「医師から『薬も受け付けず、何時亡くなってもおかしくない』と告げられた」と父からのTELそこから葬儀の為に開く仕事の穴を埋めるべく死闘が始まったまだ生きて居るのに不謹慎かも知れないが現実である
どうにも眠くてしょうが無くなるまで寝なかった当然生活は滅茶苦茶同じ時期に風邪を引いた弱り目に祟り目である熱は38度を越したが寝なかったいや寝ていられなかった無茶をするので熱は更に上がったろうがもう体温を測るのを止めた体温が判っても休めないから意味が無いのだそんなバカを察してか母が頑張ってくれた
仕事が7割程終った18日の深夜妹から訃報を聞いた夜中の事で誰も間に合わなかった母はここでも最期の配慮をしてくれた同じ組の方の通夜が翌日に葬儀がその翌日にあるのだ更にこの寒さで火葬場も混雑結局22日の通夜23日の葬儀に決まった
バカは21日迄仕事をさせて貰った午後2時に仕事を納入し帰省に伴う買い物を済ませ高速道路に乗ったのは午後4時だった車はパジェロミニいつもならアイシスで帰るのだが今回は待ったなしどんなに雪が降っても帰る心算である午後6時半諏訪湖のS/Aで夕食気温-5度レストランの方に依ると「予報では今夜この冬初めて-10度を越えると言っていた」兎も角無茶苦茶寒いのだ
山梨には午後8時半頃到着母は思ったよりしっかりした顔で迎えてくれた贔屓目だけど
パジェロミニでこんな長距離を走ったのは初めてであるバカのパジェロミニは老いぼれで前進3速である着いてからも寝る迄耳がガ~って言っていた





イカルシメ!

2011年01月18日 01時35分20秒 | 日記

結局こんなに積もってしまいましたどれだけ積もってもバカは只今カンヅメ状態の為困らないのだが雪が積もりだすとソワソワ外が気になり仕事が手につかなくなるやっぱり困るのだ

 イカル
漢字で書くと斑鳩或は鵤等と書くが あの斑鳩の里もこの鳥に由来するらしい独特の声で鳴き秋に北国から渡って来るというがこの辺りでは一時見るだけで渡って行ってしまうような気がする寧比曽岳には居ついているような気もするが…もっといて欲しい鳥なのだ昨日は雪の中をやって来て呉れた

 シメ
イカルの群れの後ろにシメの群れがいたこんな群れを作っているのだからやっぱり渡りの途中なのだろうか 判らん物知り長さん教えて下さい

ピンチ!

2011年01月17日 04時05分29秒 | 日記
 夜の雪
今のバカの気持ちもこんな感じあれもこれもやらなければならない事が次から次に起こってくるこういう時に限って色々お誘いの声が掛かる更に思いも懸けない仕事が入ってくる仕事が入ることは嬉しいがこのタイミングで
全てをこなそうと殆んど不眠不休否、眠ってはいる2時間寝て半日仕事2時間寝て半日仕事この繰り返しである
カミからありがたく頂戴した風邪治りかけにこうなったのでこじらせて仕舞った目覚めた時は何とも無いが2時間もすると節々が痛くなり熱が出てくるしかし休んでいられないのだそうだこんな事もしていられないのだ