黍生山の村夫子 (きびゅうやまのソンプウシ)

黍生山の村夫子が「蜂を追っかけた」とか「山が笑った」とか言ってます。

カミと二人で 「行って来ただよ、山陰へ」~松江城~

2017年11月30日 04時18分28秒 | 日記
11月16日旅行3日目の朝は松江の宍道湖畔です


ホテル一畑のスイートは流石です庭の向こうは宍道湖
前日の夜大田のビジネスホテルから急遽予約したのですが運よく取れました


カミも気に入って呉れたようですそれにしても素晴らしい景色です
一番に行く松江城は直ぐ近くなので今朝は優雅にゆったりくつろいでいます
嘘ですバカが泊まれるのは普通のツインですここはホテルのロビーです


朝食はバイキングでしたがもう食べちゃいました


今夜の宿を取るのに時間が掛かり9時34分出発前に宍道湖をもうシジミ採りをしていました


この人もシジミ採り


振り返ってホテルを撮ろうとしたらカミも


イソヒヨドリが見送って呉れました


9時51分松江城大手門前駐車場に着きました


先ず船に乗ってお堀を現在地から反時計回りに廻って下から外堀に出て右から戻って来ます
50分程掛かるそうです


↑絵地図の上の水路は武家屋敷ですがその左外れの辺りに蕎麦の出雲庵
美味で有名だそうです


遊覧船とすれ違いました


橋の下を通るので屋根が下がりました


12人乗りで炬燵が3脚載っていますがその炬燵の上に伏せてます


松江城が傾いています


船を下りて大手門から入城目の前に凄い石垣もう少し寄ってみましょう


バカが石垣に登ろうとしていますカミに怒られました


大きな井戸が有りました


天守に来たけどカミより小さい


天守閣の中の井戸です水は無いようでお金が沢山


天守から嫁ヶ島がこれで松江城終了さてどこかでお昼を

カミと二人で 「行って来ただよ、山陰へ」~石見銀山(2)~

2017年11月29日 04時18分28秒 | 日記
愈々石見銀山の坑道に入ります


これが龍源寺間歩(まぶ:坑道


今は大分拡幅してあるそうです


中に入ると殆どが岩盤です


岩盤の罅に銀が滲み込んだのが銀鉱脈だから坑道は罅に対して面直に掘り進みます
銀鉱脈を突き破ったらそこから罅にそって上下左右に掘ります
罅にしみ込んだ位の鉱脈なので薄くて判りにくいので見間違えることもあります
それが上の坑道です這って掘った様な細い穴です
しかも掘るのが岩だから大変です


上の坑道が見えました


ここは横の坑道が見えました


見学路の先に昔の坑道が残っていますあの柵まで行ってみます


柵の先は昔のままここにサザエに油を入れたランプを持って入ったそうです


掘りだしたこれだけの銀鉱石から


これだけの銀が採れたそうです意外と採れるものですね


龍源寺間歩でガイドは終了しましたが
Tombeeさんが明治時代の清水谷精錬所跡に連れて行って呉れました
ここは明治時代藤田組が莫大な金を掛けて再開発したそうですが採算が採れなかったようです
ご覧の通りいい感じの所でした


帰ります


ジュウガツザクラ


キレイ


車を止めた直ぐ近くの城上神社の紅葉がキレイだから見て行こうとTombeeさん


思いがけない紅葉狩り


午前中から一緒だった横浜の美女も大田まで乗せてあげる事にしたので一緒に見学
社の中には鳴き龍が有りました久々の鳴き龍でした


大田でTombeeさんと横浜の美女を下ろして今夜の宿泊地松江に向かいます
宍道湖の夕景とは言い難いですね
ホテル一畑に着いて車の荷物を整理すると昼間流星パパが呉れた沢山の米と西条柿
米はヨズクハデ(稲架)で自然乾燥させたこだわり米
西条柿はドライアイスで渋抜きをした熟し柿
思いがけない大量の贈り物に只々恐縮でした
IOTCの皆様お世話になりました本当にありがとうございました

カミと二人で 「行って来ただよ、山陰へ」~石見銀山(1)~

2017年11月28日 04時18分28秒 | 日記
温泉津の登り窯を見た後は愈々石見銀山です


10時20分到着一番この立札を見た時、ここの人々のプライドと意気込みを感じました
後刻、ガイドさんがこんな感じの説明して呉れました
「石見銀山が世界遺産の候補に上がった時地元の人達はこんな申し合わせをしました」
『世界遺産になれば人が押し寄せるだろう。でも私達は浮かれることなく今の暮らしを守って行こう。急造の駐車場や民宿を作るのはやめよう。今の暮らしを守って来たからこそ世界遺産の候補になれたのだから』
上手く言い表せませんがこの立札こそ世界遺産なのだと思いました


代官所跡ですこの近くに車を止めました


10時半から12時までが午前の部のガイド1人500円で参加です
Tombeeさんが払って呉れたけど


テレビ東京のガイヤの夜明け?で取り上げられた「中村ブレイス」
徹底的に拘った物づくりで「湯上りに色付く人口乳房、マニキュアの塗れる義手」
等で脚光を浴びています
昔トヨタ車体で働いていた時「そりゃそこまでやれば出来るでしょう」
と反発した時「じゃあやれ」って言われました
この会社も「そこまでやっている」会社なんでしょうね


午前中は街並みを銀山公園まで歩きました


商家だと言う熊谷さんちも見せて頂きました


左からTombeeさん、カミ、横浜の美女、それにバカ午前中の参加者は4名だけ
バックは熊谷さんち


どうもコイツが気になってTombeeさんは鏝絵がお気に入りみたい


この角も気になる


群れないTombeeさん


サッシの家に住んで居ながら勝手な事を言うようですが
サッシじゃないから柿スダレが映えるんです


この家に住んで居るのはバカに似た人かも


群言堂の本店です服や化粧品等を商いながら宿もやっているようですが
中村ブレイスと一緒で地域にスゴク拘っているようです
冒頭で「この立札こそ世界遺産なのだ」と言いましたが
ここの住民こそ世界遺産なんですね


これを見た時は気付かなかったのですが
Tombeeさん、ここもしかして流星パパの事務所ですか


Tombeeさんのブログでお馴染みの五百羅漢故有って訪問無しでしたが
走って行って撮って来ました
午前の部はここまででTombeeさんお馴染みの喫茶店でTombeeさんとカミはハヤシライス
バカは一つ覚えでカレーライスを戴きました


午後の部はこの銀山公園から龍源間歩まで歩きます勿論別料金


午後の部は愈々坑道に入るので参加者も多く10名位居ました


午後のガイドのこの方は面さんや山小屋さんが三瓶に登った時
下でイチゴを持って待っていた方


山小屋さんが「イチゴがスゴク美味しかった」と事ある毎にとTombeeさんから伺いました
でも面さんはそれ程でもなかったみたい面さん、グルメなのか


左があの有名なTombee cutの梅ちゃんと生きてました
梅を切らぬバカって言いますから切ったTombeeさんはやっぱり理工


ツツジが狂い咲いてましたって言うと山小屋さんに怒られそうなので
返り咲いていました


アブラギリだそうですが


この木肌が気になる


そろそろ道の両側に間歩(まぶ:坑道)が現れ始めました


するとこんな看板も石見銀山なら地蜂でしょうね

カミと二人で 「行って来ただよ、山陰へ」~温泉津(2)~

2017年11月27日 04時18分28秒 | 日記
香嵐渓に2日費やしてしまいましたが山陰旅行に戻り温泉津の続きです


西楽寺のすぐ隣の恵珖寺長い松の枝と住職さん?がいいですね


山門には四天王の増長天と毘沙門天(多聞天)本堂の裏の2隅に持国天と広目天があるかも
ただ毘沙門天と多聞天を別の神とし毘沙門天は西の守り神で
帝釈天は東の守り神とすることもあり四天王の上に位するバカもこれを採りたい


よくもこんな岩から立派な松が


と思いながらもどうも心はこの木鼻気になるなあ


Tombeeさんが故有って入ってないと言う薬師の湯


ここに車を入れるだけで店の状況が一目瞭然


風情のある仕舞屋ここで引き返しました


Tombeeさんお気に入りの元湯にきてご機嫌左は女湯を見ているバカ


もしやこの番台が目当て


元湯の横を入った裏に薬師堂がある


この薬師堂の下に今の源泉がありスピーカーから湧き出る音が聞こえました
ここは石見何処かのせせらぎのエンドレスではない筈


車に戻り近くの登り窯を見に行きました


これは保存用ですが近くに現役の窯が有りました
多分年に2回程しか火は入らないでしょうが頑張って欲しいものです


昔の登り窯主に水瓶等を焼いていたようです


温泉津の店にはこのような提灯があり


其々粋な事が書かれていました


殆どは仏教がらみでしたが


何て書いていいのか分らないので


和尚さんに相談したのだろうか

カミと二人で 「行って来ただよ、山陰へ」~温泉津(1)~

2017年11月26日 04時18分28秒 | 日記
山陰旅行2日目11月15日の朝です
当初は東から西に観光して行く心算でした
ところが前日になり天気が怪しくなったので先ず大田まで行き
そこで1泊し翌日の天気が悪いようなら広島に行くことにしました
そんな訳で前日に慌ててとったニュースカイホテル大田
大手のビジネスホテルに負けない良いホテルでの目覚めでした


朝ホテルの6階?の部屋から撮った大田市


Tombeeさんの街です


朝食は和食と洋食が有りましたが和食がお薦めだと言うのでお願いしました


8時にTombeeさんが来て呉れ温泉津(ゆのつ)に向かいました
画像は昨夜居酒屋でTombeeさんが盛んに「美味い!」って言っていた開春(かいしゅん)の蔵元


温泉津港を左に見ながら温泉津の北にある沖泊(おきどまり)に向かいます


沖泊は石見銀山を押さえた毛利元就によって銀山道が整備されたご覧の通りの天然の良港
ここから世界に銀が積み出された訳です


恵比須神社


船を舫った括り岩


コヨイマチグサ?今宵を待つ草?いい名前だけど外来種みたい


Tombeeさんと集落の方へ



ところがここは限界集落みたい
そもそも銀を積みださなくなった後はどうやって生計を立てていたんだろう
この集落を見た時学生時代に読んだ安倍公房の「砂の女」を思い出しました
半世紀近く前の事なのでとんでもない語弊があるかも知れませんから書くことは控えます


温泉津に戻って港に車を止め散策です


巨神兵Tombeeさんが案内して呉れます


沖縄スズメウリって言う札がありました


庄屋の内藤さん家塀が黒っぽいのは炭を混ぜているかららしい
汚れが目立ちにくいのかな


左上の瓦にも内藤さん家マーク右上の如雨露の先みたいな瓦も幾つか見かけました


中央は元郵便局


屋根にその名残


龍御前神社毎週土曜日に夜神楽とは流石は石見


ヒイラギの花見た事あったかなあ


西楽寺、西にあると言う極楽浄土を連想ですね


カミが象の木鼻を発見帰って調べたら珍しくないらしいバカが無知なだけでした