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射水市民病院の外科部長は殺人者か!? 3月30日

富山県射水市民病院外科病棟で行われた、末期ガン患者らに対する人工呼吸器の取り外しによる延命治療の中止を、殺人と呼べるだろうか。報告されている7名のうちの6名の患者の人工呼吸器を取り外した外科部長は、今日、取材陣を自宅に招きいれ、「医師と患者との信頼関係の中で、自然に死を迎えたほうが良いという患者の家族との同意のもとに、延命治療の中止を決断した」と、動機について詳しく語った。併せて、「心停止が人の死だという考えと、延命治療の中止は正しかったという両方の思いが揺れ動いている」と、現在の心境を述べてもいる。

外科部長のこれらの行為は、昨年10月、病院長の知るところとなった。厳しく詰問した(と思われる)院長に対して、当初は尊厳死を強行に主張していたこの医師は、最後には「間違っていた」と反省し謝罪をしたそうだ。この医師は明日31日付で病院を辞職するが、末期ガン患者らに対する安楽死が明確に法制化されていない日本の社会の現状を踏まえると、責任がこの医師だけにあるとは言いきれない。

7名の患者の家族は、「同意がなかった」とは言っていない。わざわざ玄関先に、前言を翻し「(家族は)同意した」とはり紙をしている家もあり、この医師の独断でなかったことは間違いなさそうなのだ。6名の患者は、「意識がなく、回復の見込みがなく助けられない状態」だったとこの医師は述べている。医師の行為が「殺人」なら、仮に家族から頼まれて人工呼吸器をはずしたのだとしたら、真の「殺人」の首謀者は家族ということになる。患者本人が、意識がなくなったら延命措置をとらないで欲しいと事前に意思表示していた可能性もある。

「安楽死」は、「肉体的に耐え難い苦痛」「死期が迫っている」「苦痛を和らげる方法がない」「患者の明らかな意思表示」の4要件を満たしていることが基本で、積極的に生命を縮める行為をさす。一方「尊厳死」は、「死が不可避な末期状態」「患者の意思表示がある(家族による推定も可)」「自然の死を迎えさせる目的に沿う」の3要件を満たし、人工呼吸器などの延命措置を中止する行為をいう。今回のケースは、尊厳死であるか否かが問われているが、闘病にかかわっていない第三者には、実際のところ計り知れない部分が多く、真実は医師と患者・患者の家族にしかわからない問題だ。

終末期医療で最も重要なことは、患者と医師との信頼関係だ。この7名は、自ら意思表示できる状態ではなかった。そもそも、ガンであることを告知されていなかった可能性もある。その場合には、本人に「死」に対する自覚がなかった可能性が高い。いずれにしても、オランダのように、明確に「安楽死」が法制化されていない以上、ガンであるか否かを問わず、不慮の事故も想定して、自分がどういう「生き方」あるいは「死に方」をしたいのか、思考が明快なうちに意思表示をしておくシステムの構築が、今後重要となる。予め本人がどういう「生き方」または「死に方」をしたいのかを明確に意思表示することで、他人を巻き込む度合いが縮み、安楽死あるいは尊厳死の是非に関する問題は随分すっきりする。

現在のように、安楽死や尊厳死に対する議論を、社会が比較的避けているような状況では、責任を逃れるために、延命措置を無期限に継続する医師が多いはずだ。高齢化が進む日本では、現在300万人以上のガン患者が存在し、2015年には2人に1人がガンで死ぬと予測されている。にもかかわらず、終末期医療というある意味医療にとって最も重要な部分が、医師からも敬遠され社会全体としてもおざなりにしている傾向がある。

末期ガン患者に、誠心誠意向き合える医師は、残念ながら現在の日本にはまだまだ少ない。そもそもの「告知」についても、医師の人格によってその質は様々だ。たまたま出会った担当医が、私たちの終末期の在り方を決めるものではない。患者の意思を忖度し、患者の「生き方」あるいは「死に方」を支えるのが医師の役割だ。

黒字経営になりにくいという理由で、日本にはホスピスや緩和ケア病棟の数は非常に少ない。富山県で終末期医療を専門とする病棟は、富山市内にある県立中央病院1ヶ所だけなのだ。ガン死亡率が激増する状況に、医療現場のほうが実は追いついていないのである。外科手術など積極的な治療にあたる専門家は沢山いるが、肝心の、患者が最も苦痛を伴う終末期を支える医療が、日本ではまだまだ未成熟なのだ。命の最後を支える環境が未整備である以上、少なくとも、延命措置を希望するのかしないのか、予め出来る限り具体的に意思を固めておくことは、自分へのそして社会への責任ではないか。

射水市民病院の外科部長の主張に嘘がなければ、ある意味この医師は、医師としての責任をむしろ積極的に果たしたとも言える。ただ、日本の社会全体が「安楽死」や「尊厳死」に対して未だに曖昧な状況であるために、過失を問われ刑事罰に処せられる可能性があるのだ。これらの法制化を急ぐことは勿論、自分の最期の迎え方を、予め意思表示するシステムをつくりあげることが、何より重要だと私は思う。
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