Justice! 社会正義の実現!所得充実政策!ワクチンより検査を積極的に推奨! / 薬剤師・元参議院議員・消防団
ひらがな5文字の「はたともこ」ブログ
瑛梨香ちゃんを襲った悲劇 7月31日
埼玉県ふじみ野市の市営プールの吸水口に、吸い込まれて亡くなった遊泳中の小学校2年生の女の子・戸丸瑛梨香ちゃんは、本当に可哀想だ。市の杜撰な管理体制がうんだ、稀に見る悲劇だ。第三者の私でも、瑛梨香ちゃんのことを思うと、胸が張り裂けそうになる。
流れるプールの「流れ」をつくるために、プールの壁面にあった直径60cmの吸水口は、本来なら2枚の格子状のアルミがボルトで固定され、人間が吸い込まれないように防御しているはずだった。事故直前、1枚のアルミ格子がはずれているのを知った職員は、なんとあろうことか、本当に信じられないことに、アルミ板をプールサイドに置き、工具を取りに行ってしまったのだ。その間、アルバイトの監視員は、吸水口に近づかないよう注意を呼びかけていたというが、現場の映像を見る限り、注意を呼びかければ済むようなそれは「穴」ではない。
アルミ板をはずしたままその場を離れた職員も職員だが、アクシデントを知り得た監視員が、直ちに「遊泳中止」の放送を場内に流さなかったことはまったく信じがたく、監視員としての資質を疑わざるを得ないものだ。同時に、流れるプールの「流れ」をつくるために行っていた「吸水」を、異常が確認された時点で止めなかったプール側の判断は、あまりにもお粗末、職員たちの危機管理意識の低さには唖然とするばかりだ。
市営プールには、10数人の職員(委託会社職員2人と、その他は高校生のアルバイト)が配置されていたというが、幼い子どもの命を守ることができないような人員配置であったことが、今回の「人災」をまねいたのだ。いったい、今までどういう意識を持って、プールの運営にあたっていたのだろう。業務上過失致死罪は当然免れないが、瑛梨香ちゃんの家族に対しては、謝っても謝りきれない大失態だ。家族にしてみれば、たとえ数億円の賠償金を積まれても、許すに許せない、あってはならない本当に信じがたい事故であるはずだ。
子どもは無防備であり、無防備な子どもを守るのは大人の責任だ。楽して儲けるヒルズ族たちを重用する「改革」を推進した小泉政権は、社会全体の「職業意識」と「危機管理意識」を希薄にさせた。ワンフレーズ・ポリティクスの小泉政権は、「無責任」であることを結果的に美化し正当化した。アルバイトであるにせよプールの監視員は、監視員としての職責を全うしようという意識が希薄であったことは確かだ。小泉総理のおちゃらけ政治は、社会の一員として、何事に対しても真摯に対応する姿勢を崩壊させてしまい、結果として、無防備な子どもたちを、周囲の大人たちが守ることが出来ないという、最悪の事態を招いてしまった。
今回の事故は、明らかに、周囲の大人たちの軽薄さと愚かさとがうんだ悲劇だ。つぐなってもつぐないきれるものではない。「適当に生きる」ことを容認した小泉政治は、その責任を認識し反省する必要がある。「適当に生きる」社会は、今回のような取り返しのつかない悲劇を生みかねない、非常に不安定な社会だ。地に足のついた正直者が損をしない社会、無防備な子どもたちを、大人が率先して守り育てる社会を、早急に取り戻す必要がある。
瑛梨香ちゃんの悲劇は、無責任な現代社会の縮図だ。ご家族の心境は想像するにあまりあるが、瑛梨香ちゃんだって、死ぬに死に切れなかったに違いない。思えば思うほど、胸が痛む話だ。事ここに至り、プールの職員たちの責任のとり方次第では、子どもたちに与える影響も考えなければならないだろう。取り返しのつかない事態をうんだプールの職員たちの誤った判断は、社会に糾弾されてしかるべきだ。
プールの運営を担っていた大人たちは、瑛梨香ちゃんに、どんな謝罪の言葉をかけるのだろうか・・・。
流れるプールの「流れ」をつくるために、プールの壁面にあった直径60cmの吸水口は、本来なら2枚の格子状のアルミがボルトで固定され、人間が吸い込まれないように防御しているはずだった。事故直前、1枚のアルミ格子がはずれているのを知った職員は、なんとあろうことか、本当に信じられないことに、アルミ板をプールサイドに置き、工具を取りに行ってしまったのだ。その間、アルバイトの監視員は、吸水口に近づかないよう注意を呼びかけていたというが、現場の映像を見る限り、注意を呼びかければ済むようなそれは「穴」ではない。
アルミ板をはずしたままその場を離れた職員も職員だが、アクシデントを知り得た監視員が、直ちに「遊泳中止」の放送を場内に流さなかったことはまったく信じがたく、監視員としての資質を疑わざるを得ないものだ。同時に、流れるプールの「流れ」をつくるために行っていた「吸水」を、異常が確認された時点で止めなかったプール側の判断は、あまりにもお粗末、職員たちの危機管理意識の低さには唖然とするばかりだ。
市営プールには、10数人の職員(委託会社職員2人と、その他は高校生のアルバイト)が配置されていたというが、幼い子どもの命を守ることができないような人員配置であったことが、今回の「人災」をまねいたのだ。いったい、今までどういう意識を持って、プールの運営にあたっていたのだろう。業務上過失致死罪は当然免れないが、瑛梨香ちゃんの家族に対しては、謝っても謝りきれない大失態だ。家族にしてみれば、たとえ数億円の賠償金を積まれても、許すに許せない、あってはならない本当に信じがたい事故であるはずだ。
子どもは無防備であり、無防備な子どもを守るのは大人の責任だ。楽して儲けるヒルズ族たちを重用する「改革」を推進した小泉政権は、社会全体の「職業意識」と「危機管理意識」を希薄にさせた。ワンフレーズ・ポリティクスの小泉政権は、「無責任」であることを結果的に美化し正当化した。アルバイトであるにせよプールの監視員は、監視員としての職責を全うしようという意識が希薄であったことは確かだ。小泉総理のおちゃらけ政治は、社会の一員として、何事に対しても真摯に対応する姿勢を崩壊させてしまい、結果として、無防備な子どもたちを、周囲の大人たちが守ることが出来ないという、最悪の事態を招いてしまった。
今回の事故は、明らかに、周囲の大人たちの軽薄さと愚かさとがうんだ悲劇だ。つぐなってもつぐないきれるものではない。「適当に生きる」ことを容認した小泉政治は、その責任を認識し反省する必要がある。「適当に生きる」社会は、今回のような取り返しのつかない悲劇を生みかねない、非常に不安定な社会だ。地に足のついた正直者が損をしない社会、無防備な子どもたちを、大人が率先して守り育てる社会を、早急に取り戻す必要がある。
瑛梨香ちゃんの悲劇は、無責任な現代社会の縮図だ。ご家族の心境は想像するにあまりあるが、瑛梨香ちゃんだって、死ぬに死に切れなかったに違いない。思えば思うほど、胸が痛む話だ。事ここに至り、プールの職員たちの責任のとり方次第では、子どもたちに与える影響も考えなければならないだろう。取り返しのつかない事態をうんだプールの職員たちの誤った判断は、社会に糾弾されてしかるべきだ。
プールの運営を担っていた大人たちは、瑛梨香ちゃんに、どんな謝罪の言葉をかけるのだろうか・・・。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )