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news commentary

見事な外交手腕

2011-11-20 23:35:55 | Weblog


東日本大震災・津波・福島原発メルトダウン――その復旧・復興をめぐる政府・国会の不手際と怠慢、さらには復興担当大臣の被災地知事に対する暴言、混迷する経済の中で、アメリカ主導のTPPへの前のめり参加意思表示の韜晦、通称「永田町文学」の言語遊戯をめぐる国会の低級にして醜悪な質疑応答、日本の人々のこころが深く冷たい闇の中に沈んでいくさなか、ブータン国王夫妻が国賓として日本を訪問した。

比較的大柄な国王は比較的小柄な皇室の人々と握手を交わす際、腰を折って互いの目線が水平になるよう努力し、その両手で相手の手をしっかりと包み込んだ。

国王は日本国会でスピーチをした。一言でいえば、日本人と日本の再起への応援歌で、「このような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています」ということに尽きた。

何年か前にアメリカ大統領選挙でオバマ候補が
   Yes, We Can!
と叫んで人々を狂喜させて支持を拡大した。

今度は日本を訪れた外国の賓客が日本人に対して、
   Yes, You Can!
と優しく語りかけ、彼らの心の傷を癒そうとした。

相馬市の津波被災地では心のこもった合掌で追悼の意思を示し、小学校では児童たちと和気あいあいで話しあった。

雨の京都では、プレスの写真撮影のさい、それまでお坊さんに傘をさしかけていた付き人が、写真取材の邪魔になるので傘を持ったままその場を離れた。傘を自分で持っていた国王夫妻にはさまれて、お坊さんひとりが雨中に取り残された。間髪を入れず、国王と王妃がそれぞれが持っていた傘を僧にさしかけた。国王はもっとこっちにいらっしゃいとばかり僧の背中に自分の手を回した。日本仏教と、ブータン国が国教にしているチベット仏教では、僧の権威や宗教の存在理由についての認識にはいちじるしいギャップがある。国王夫妻が僧に示した配慮は、仏・法・僧に対するブータン人の厚い信頼だけでなく、人と人の普通の心づかいがもたらしたものだ。

さらに、ジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃は、訪問先と訪問の趣旨に合わせて民族衣装を着替えて見せた。とくに王妃の衣装が見事で、背後に有能な衣裳係が控えていることをうかがわせた。

若い国王のあの優雅でそれでいてしっかりとした立ち居振る舞いは、どこで身につけたものだろうか。ブータン王室の教育の成果だろうか。留学先のイギリスで身につけた洗練だろうか。ブータン国王夫妻に好意的になった日本のメディアが好意的な報道を続けたことで、国王夫妻は日本人の心をすっかりメロメロにした。

一般の日本人は、こんな素敵な新婚カップルが代表するブータンという国に興味をもった。彼の国が掲げるGNH(国民総幸福)とはどんな考え方だろうかと、興味をそそられた。

GNHはブータンの国王が1972年に言い出した考え方で、GNPやGDPでは測れない幸せを大切にしようというものらしい。高度経済成長によって1968年にGNPが資本主義国で第2位になり、その後の安定成長期を経てバブル経済崩壊を見る1991年ごろまでは、日本ではGNHはヒマラヤ山中の最も遅れた小国の負け惜しみ程度にしか考えられていなかった。

そして今、日本経済は沈滞し、政治家たちはその無能をさらけ出し、国家公務員はあいかわらず省益を追い求め、経営者は企業を私物化して恥じないありさまだ。われわれは、どこで、何を間違えたのだろうか? その答えが見つからず日本人はいらだち、不安にさいなまれ、落ち込んでいる。ブータンは「1人当たりの国民総所得は、2020ドルで貧しい。だが国勢調査では、90%以上の人が『幸せ』と答えている」(『信濃毎日新聞』11月20日)。昔なら目もくれなかったようなこの文字列に日本人の目が吸い寄せられる。

むかし老子がこんなことを言った。小さな人口の小国だが、国民に命を大切にするようにさせ、遠くへ移住することがないようにさせる。まずい食物をうまいと思わせ、粗末な衣装を心地よく感じさせ、狭い住まいに落ち着かせる。そうなれば、隣の国はすぐ見えるところにあっても、国民は老いて死ぬまで他国の人と互いに行き来することもないだろう。(『世界の名著 荘子 老子』中央公論社の老子第80章)

統治術の一つの理念型を示そうと、老子が仕立ててた寓話である。老子はこのことを第3章で違う形で述べている。

不尚賢、使民不争、不貴難得之貨、使民不為盗、不見可欲、使民心不乱

孔子が教えた統治の哲学は人口に膾炙されたが、孔子の宇宙の反宇宙である老子のコスモロジーは、一部の好事家を除いて、話半分に聞く人が多かった。

ブータン国王夫妻は、かの国の国民総幸福の考え方がどのような政治哲学に由来しているのだろうかと、日本人に関心を持たせるきっかけを作った。鮮やかな外交だった。

(2011.11.20 花崎泰雄)






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