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遠い太鼓

2017-12-20 23:13:14 | Weblog

去年のいまごろ、ジャズ・ピアニスト、バド・パウエルのことを書きその中でバドの葬式に一役買ったジャズ・ドラマー、マックス・ローチにちょっとだけふれた。そのマックス・ローチが享年83歳で鬼籍に入ってから、今年でちょうど10年になった。

18歳のとき、マックス・ローチはもうニューヨーク・ハーレムのモンローズ・アップタウン・ハウスというクラブでドラムを叩いていた。そのときアルト・サックスを吹いていたのがチャーリー・パーカーである。1950年ごろにはマイルス・デイビスの「バース・オブ・クール」に参加した。

1953年カナダのトロントで演奏して評判になった『ジャズ・アット・マッセイ・ホール』は、「これがビーバップの誕生だ」とされる記念碑的な録音になった。そのセッションでドラムを叩いていたのもマックス・ローチだ。 マッセイ・ホールのセッションには、チャーリー・パーカー、 ディジー・ガレスピー、 バド・パウエル、 チャールズ・ミンガスらが参加していた。ベースのチャールズ・ミンガスとはピアノのデューク・エリントンを交えたトリオで「マネー・ジャングル」(1963年)を制作した。このアルバムのなかの Very Special という曲が、私は好きである。

才気煥発なミンガスとローチがデューク・エリントンに激しく挑みかかる。これに対してエリントンが、ピアノが壊れるのではないかと心配になるほどの強さで鍵盤をたたいて、ミンガスとローチの2人に応じる。やがて曲が進むうちに、デューク・エリントンが2人の曲者・ローチとミンガスを従えて演奏している姿が鮮明になってくる。

マックス・ローチがクリフォード・ブラウンと組んだ1954年から1956年にかけての演奏も大好きだが(マックスのドラミングよりクリフォードのトランペットがもっと好きだが)、惜しいことにクリフォード・ブラウンが1956年に事故死して、ローチ&ブラウンの演奏は聞けなくなった。ローチ&ブラウンのコンボでピアノを弾いていたのが、バド・パウエルの弟のリッチー・パウエルで、クリフォード・ブラウンはリッチー・パウエル夫妻の車に同乗していて事故に遭った。この交通事故でクリフォード・ブラウンとリッチー・パウエル夫妻の3人が死んだ。1956年のことだった。

クリフォードとリッチーの2人を突然失ったマックス・ローチはふさぎ込んで深酒をし、喪失感から立ち直るのに数年かかった。クリフォード・ブラウンの死から4年。マックス・ローチは1960年に、人種問題と政治問題を詰め込んだ、難解なアルバム We Insist!  Freedom Now Suite をリリースした。

曲目を並べただけで、アルバムの政治性がはっきりとわかる。

 Driva' Man,

Freedom Day,

Triptych: Prayer, Protest, Peace,

All Africa,

Tears for Johannesburg.  

アルバムに盛り込まれているのは、1950年代から始まったアフリカ系アメリカ人による人種差別に対する異議申し立てと、アフリカへの関心の高まりだ。

なかでも、Tears for Johannesburg は当時の南アフリカ政府に対する抗議を込めた曲だ。1960年、南アフリカ政府の人種差別政策に抗議するためにシャープビルの警察署前に集まった人々に対して警官が発砲し200人以上の人が死傷した。シャープビル事件と呼ばれている。事件が起こった3月21日は現在では南アフリカの「人権の日」、国連の「国際人種差別撤廃デー」になっている。

ニューヨーク・タイムズ紙のマックス・ローチの訃報を読むと、マックスが『ダウンビート』に「社会的な意味を持たないものは、今後二度と演奏しない」と、このアルバムのリリース後に語っている。We Insist!  Freedom Now Suite でテナーサックスを吹いたスウィング・ジャズの大物・コールマン・ホーキンスは抗議のサックスを激しく吹き鳴らした。その激しさは2年後になっても残っていて、コールマン・ホーキンスのニューヨーク・ビレッジゲートでのライブ『ホーキンス! アライブ!』の「ジェリコの戦い」でその政治的音色を使った。

We Insist! Freedom Now Suite にはあふれるばかりの政治性があるが、それとみあうだけの音楽性があるか? そう問い詰められると、今となっては即座にイエスと言えない。音楽に政治的メッセージをつぎ込んで、なおかつその音が心にしみるようにする工夫は難しい。

だが、We Insist! Freedom Now Suite を聞くと、半世紀前の1960年代のアメリカ社会がはっきりとした輪郭で蘇ってくる。私の知人のアメリカ人夫婦は大学生時代に公民権運動支援のためにアメリカ南部に出かけ、そこで知り合い、恋におちた。そして子どもをうみ育て、何冊かの本を書き、彼らの子どもが結婚して子どもを生み、2人はジジババになった。マーティン・ルーサー・キング牧師は公民権運動を指導し、1964年にノーベル平和賞を受賞し、1968年に暗殺された。ケネディー大統領暗殺によって副大統領から昇格したジョンソン大統領は、人種差別や貧困問題を解消すべく「偉大な社会計画」を唱えたが、一方で、アメリカをベトナム戦争の底なしの泥沼に引きずり込んだはてに、政治から引退した。アメリカがベトナムから撤退したのは1970年代になってからである。

  ふつふつと煮えたぎる湯にふつふつと思う 人のなす業(わざ)のいくつか

      (『時 小野フェラー雅美歌集』短歌研究社 2015年)

 

(2017.12.20 花崎泰雄)

 

 


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