Podium

news commentary

言い出しかねて

2016-12-23 21:27:21 | Weblog

昨年のいまごろPodiumにビリー・ホリデイのことを書いた。2015年はビリー・ホリデイ生誕100年だった。今年は稀代のジャズ・ピアニスト、バド・パウエルのことを書こう。2016年の今年はバド・パウエル没後50年にあたった。

1960年代の前半、日本の街のあちこちにジャズ喫茶があった。店内には高性能のアンプとJBLなどのスピーカーがおかれていた。当時はまだLP版だったモダンジャズのレコードを聞かせてくれた。普通の喫茶店よりはコーヒーが少々高かったが、長居する客にも嫌な顔をしなかった。

そうしたジャズ喫茶で客からのリクエストが最も多かったLP の1つがバド・パウエルのピアノ・トリオ演奏 The Scene Changes: The Amazing Bud Powell, Vol. 5 だった。曲はすべてバド・パウエルのオリジナル。A面冒頭に “Cleopatra's Dream” が収められていた。「クレオパトラの夢」というロマンチックなタイトル。4分強の演奏の中にバド・パウエ得意のidiom (表現形式)がぎっちり詰まった軽快で美しいメロディー。Blue Note のスタジオ録音盤。その時の録音技師 Rudy Van Gelder も今年鬼籍に入った。

「バドを聞くなら Un Poco Loco だよ」と、ジャズ喫茶のオヤジはのたもうたものだ。そうだ、そうだと同調するマニアも、チャーリー・パーカーにさえ「バドは天才だよ」といわせた、バドの特異な曲想、鍵盤の上に舞う指、力強いタッチ、竜巻のようなパワーに圧倒されて聴きつづけるのが息苦しくなり、人目のないところで「クレオパトラの夢」を聞いて、ホッと一息ついていた。60年代のジャズ・ファンは人前では、流麗なジャズなど歯牙にもかけない風を装った。いまにして思えばあれは悪弊であった。あのころのモダンジャズ・ファンには、そんな、妙につっぱったところがあった。

The Scene Changes: The Amazing Bud Powell, Vol. 5 は1958年の録音で、その後すぐの1959年にバド・パウエルはパリに居を移した。映画『ラウンド・ミッドナイト』はパリ暮らしをしていたころのバド・パウエルがモデルになっている。映画では主人公はサックス吹きで、本物のサックス・プレイヤー、デクスター・ゴードンが演じた。

パリ暮らしのおかげで、バド・パウエルが麻薬と酒から離れて心身の状態を改善させたころのピアノ・トリオの作品 Bud Powell In Paris (1963年パリで録音、1964年発売)が年の瀬のこの小論のトピックである。

アメリカでのバド・パウエルは酒、麻、麻薬、警官との乱闘、留置所、精神病院、精神病治療のための電気ショックといった悲惨な生活の合間に、ジャズと取り組んだ。おそらくバド・パウエルのエネルギッシュな打鍵があのころの若者の心を揺さぶったのも、50-60年代のアメリカのアフリカ系の人々への同情と連帯の気持が底流にあったためだろう。

Bud Powell In Paris のバド・パウエルのピアノの音は、過去の彼の音と吹っ切れている。ロマンチックで、メロディアスで、イージーリスニングである。とはいえ、バドのつむぎだすピアノの音はあくまで、音の一粒一粒が重く、その質量が高い。並みのピアニストでは出せない音である。

このアルバムでの私のお気に入りは “Dear Old Stockholm” と “I Can’t Get Started” だ。
Dear Old Stockholm はスェーデンの民謡で、ストックホルムを訪れたスタン・ゲッツが演奏して評判になった。多くのジャズメンがこの曲をカバーしたが、ほとんどの演奏がシンプル極まりないゲッツの演奏に及ばなかった。ただ、バド・パウエルのDear Old Stockholm だけがシンプルな美しさでスタン・ゲッツのそれに比肩する。

だが、今年の大みそかにその Bud Powell In Paris を聴くのは、8曲目に “I Can’t Get Started” が収められているからだ。

I Can’t Get Started は1930年代のアメリカのミュージカルに使われた歌だ。最初に歌ったのはボブ・ホープだったそうで、ビリー・ホリデイやフランク・シナトラらがカバーした。

歌詞は歌い手によって異同があるが、ビリー・ホリデイの歌詞はこうだった。

I've been around the world in a plane
Settled revolutions in Spain
The North Pole I have charted
But can't get started with you
And at the golf course I'm under par
Metro-Goldwyn wants me to star
I've got a house and a show place
But can't get no place with you

You're so supreme
The lyrics I write of you
Dream, dream, day and night of you
Scheme just for the sight of you
Baby but what good does it do?
I've been consulted by Franklin D.
Robert Taylor has had me to tea
But now I'm broken-hearted
Can't get started with you

まあ、アメリカのミュージカルらしい能天気な歌で、ビリー・ホリデイのイメージには合わない。レスター・ヤングがビリーにつきあってテナーを吹いているが、こちらもあまりパッとしない。

この曲をバド・パウエルは超スローテンポで弾く。本当にバドが弾いているのかと疑いたくなるほどのゆったり感である。バドの右手が奏でるメロディーは原曲の旋律とバドのアドリブがとけあって、聴く人の心を打つ。つまり、あのくだらないアメリカン・ミュージカルの歌詞とは絶縁した美しい音、素直な音、といえばわってもらえるだろうか。

バド・パウエルのピアノの音色に誘い出されるように、今年、いやこれまでの人生で、言い出しかねたこと、あるいはつい言い過てしまったことの記憶が、切なく苦くよみがえってくる。

パリ暮らしで酒と麻薬から遠ざかることはできたバド・パウエルだが、結核にとりつかれ1964年にニューヨークに戻る。帰国後、彼のピアノ演奏は再び評判になったが、無残なことに、バド・パウエルは再び酒びたりになり、立ち直ることができないまま1966年に死んだ。疎遠だったバドの家族にかわってマックス・ローチが葬儀を取り仕切った。マックス・ローチはバド・パウエル畢生の傑作とされるUn Poco Loco でバドにつきあったドラマーである。当時の名の知れたジャズメンを乗せたバンドワゴンを先頭に、ニューオーリンズ風の葬儀の列がハーレムを行進した。道路脇で5000人がバップ・ピアノの天才、モダンジャズにおけるピアノ・トリオの確立者、バド・パウエルを見送った。

 真つ白な年は無音を町々に響かせてゐる「何もなかつた」
         (『時 小野フェラー雅美歌集』短歌研究社、2015年)





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約束の刻限

2016-12-16 12:23:22 | Weblog

「――武蔵っ」
「…………」
「武蔵っ!」
 二度いった。
 沖鳴りが響いてくる。二人の足もとにも潮が騒いでいた。巌流は、答えない相手に対して、勢い声を張らないでいられなかった。
「怯れたか。策か。いずれにしても卑怯と見たぞ。――約束の刻限は疾く過ぎて、もう一刻の余も経つ。巌流は約を違えず、最前からこれにて待ちかねていた」
「…………」
「一乗寺下り松の時といい、三十三間堂の折といい、常に、故意に約束の刻をたがえて、敵の虚を突くことは、そもそも、汝のよく用いる兵法の手癖だ。――しかし、きょうはその手にのる巌流でもない。末代もの嗤いのたねとならぬよう潔く終るものと心支度して来い。――いざ来いっ、武蔵!」
 以上は吉川英治『宮本武蔵』の名調子だ。

2016年12月15日、日本の宰相・安倍晋三氏が故郷と称する山口県・長門市で(衆議院議員・安倍晋三氏の選挙区は山口県第4区で、長門市と下関市で構成される。巌流島は下関市にある)、ロシアの棟梁ウラジーミル・プーチン氏を迎えて会談した。プーチン大統領は約束の時間より2時間ほど遅れて会場に到着した。

「●△■×☆!!!?」と晋三が言い放った。
「◎○▼▲&&*¥?」。ウラジーミルが傲然と応じた。

というのは冗談だが、12月16日の朝刊各紙を見るかぎり領土問題では何の進展もなかったようである。ただ、衆議院議員・安倍晋三のさらなる選挙地盤固めには役だった。日本から経済協力の約束を引き出した大統領・プーチンも権力の基盤をある程度固めたことだろう。

12月16日午後の首相官邸での共同記者会見で、安倍首相は冒頭の発言でプーチン氏を「ウラジーミル」と呼んだ。ロシア人はよほど親しい仲にならないと名前で呼び合わない。プーチン氏を親しくよぶ場合はウラジーミルでなくてワロージャである。敬意を込める場合は「ウラジーミル・ウラジーミロビッチ」となる。ロシアの小説を読んだことのある人ならだれでも知っている。安倍発言は領土問題に相当の時間を割いた。いっぽうのプーチン大統領は冒頭発言でまず、「シンゾー」ではなく「安倍首相」と呼んで、なれなれしい日本国首相を軽くいなしたうえ、領土問題にはほとんど触れなかった。


戦争で奪われた領土は戦争でしか取り返せないと言われる。ヨーロッパの歴史を見るとそうした例が沢山ある。ただ、19世紀にロシアが植民地アラスカをアメリカ合衆国に平和裡に売り渡した例がある。いつの日かロシアが窮して、ロシア側から北方領土返還と何かを取引したいと言い出すまで、気長に待つしかない――ロシアより先に日本が窮する可能性も大いにあるが。それまでは、領土問題などないと主張するロシアに対して、領土問題は存在すると日本が言い続けるしかない。

(2016.12.16  花崎泰雄)
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Crash

2016-12-14 22:20:33 | Weblog

オスプレイが沖縄・名護市沖の浅瀬で機体を大破する事故を起こした。

沖縄の新聞『琉球新報』は「墜落」と見出しにうたい、翁長・沖縄県知事は「墜落と認識」と語った。一方、本土の新聞やテレビは「不時着」という米軍提供―防衛省経由の用語を使った。

自衛隊の用語では不時着とは航空機が緊急事態に遭遇してやむを得ず着地、着水すること、とされている。

英語圏のメディアは “crash” という言葉を用いた。航空機が不時着あるいは墜落によって大破することという意味である。

*The US Marines have suspended flights of all Osprey military aircraft in Japan, after a crash off the coast of Okinawa island. (BBC)

*U.S. military Osprey aircraft has crash-landed off Japan's southern island of Okinawa, but its five crewmembers were safely rescued. (Fox News)

*The US military has grounded its fleet of Osprey aircraft in Japan after one crash-landed in the sea near Okinawa, in an incident that will fuel further local anger over the US deployment on the island. (Guardian)

*An MV-22B Osprey crashed in shallow water off Okinawa, Japan, on Tuesday, the latest in a series of Marine aviation mishaps. (US Marine Corps Times)

本土の新聞もオスプレイをめぐる用語「不時着」と「墜落」の政治性に気がついたと見えて、脇の甘さを反省したのか、12月14日の朝日新聞は1面トップの見出しを「オスプレイ浅瀬で大破」とし、袖見出しに「集落から300メートル」、その上に「給油訓練中に不時着」と小さく添えた。社会面では「日本政府が安全と言い続けてきた米軍輸送機が、米軍基地が集中する沖縄の海に落ちた」と歯切れよく書いた。「落ちた」とは「墜落」あるいは機体を大破させるほどの「墜落的不時着」の意味であろう。この記事は事故現場を自分の目で見た記者が書いた。

今回の事故が不時着なのか墜落なのか、という技術論はきちんとした調査が終わらないとわからないだろう。オスプレイは事故多発の札付きの機種だ。それが機体を大破する事故をとうとう沖縄で起こしてしまったことが重要で、その原因が墜落か不時着かは2次的な問題である。

(2016.12.14  花崎泰雄)

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カジノ

2016-12-07 13:37:00 | Weblog

メルボルンに住んでいた1994年、あの町にカジノがつくられた。カジノをめぐっては当然賛否両論があった。つくったのは当時のヴィクトリア州首相ジェフ・ケネットである。このカジノが現在のメルボルン・クラウン・カジノの前身である。

草創期のメルボルンのカジノは客集めのために市内に無料送迎バスを走らせた。そのころメルボルンの新聞『エイジ』で以下のような記事を読んだ覚えがある。「カジノは送迎バスをチャイナ・タウン周辺に集中させた」。チャイナ・タウン周辺の住民はカジノのねらい目だった。

ある日、私がそのチャイナ・タウン周辺の簡易食堂へお昼を食べに行くと店が閉まっていた。ローストダックを製造販売し、店内のテーブルでもローストダックが山盛り入った汁そばを食べさせてくれたお気に入りの店だった。しばらくのちに店に行ったが、閉じられたままだった。カジノですってんてんになり夜逃げするチャイナ・タウンの店主もいるという『エイジ』の記事を思い出した。

すべての利益は他人の損失から生じると、モンテーニュの随想録にある。若者の濫費で商人は繁盛し、家屋が倒壊すれば建築家が儲かり、医者は友人の健康さえ喜ばず、軍人は己の町の平和さえ喜ばない、とモンテーニュは例の辛口で書いている。競馬・競輪・宝くじ・パチンコなどなど、興行主体が取り分をとったあとの残金を分け合うのがギャンブルの仕掛けだ。人の世にはそうした事例が多い。ウィン・ウィンの関係など例外的に存在するだけだ。加えてギャンブルはAの懐からBの懐へ金が移動するだけで、その移動に伴って付加価値が生み出される性質のものではない。

西側世界の金融システムがカジノになってしまったとスーザン・ストレンジが『カジノ資本主義』で書いたのは1986年のことである。その12年後、ストレンジはカジノ資本主義がさらなる暴走を続けていることを『マッド・マネー』(1998年)で書いた。

カジノ資本主義の中心ないし中心部周辺にいる人々と、周縁にいる人々の格差に起因する現象が世界の政治のあちこちで噴出していると時事解説者は説明してくれる。米国のトランプ現象やイタリアの「五つ星運動」、ヨーロッパに吹き荒れる右寄りの風、みんな根っこにカジノ資本主義が生み出した所得の極端な不平等がある。

そういうことなら、パイを大きくすることばかりに狂奔しないで、パイの分配をいま少し道徳的にする方向を模索すればよいのだが、これまた貧者の幸せは富者の不幸ということになり、実現は困難である。2011年のニューヨークの「オキュパイ・ウォールストリート」運動も問題提起をしたのみで一過性の話題に終わった。

経済学はモラル・サイエンスだとケインズは言ったが、そういう時代はとっくの昔に終わっているのだろう。

(2016.12.7 花崎泰雄)
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