昨夜(2013年2月1日)のNHKニュースと今朝の朝日新聞が、AKBのタレントが男関係を週刊誌にあばかれたことで、頭をまるめ、坊主あたまで謝罪する姿をインターネットの動画サイトで流した、と伝えた。
NHKニュースは異様な女性の剃髪謝罪に、「私の国では想像もつかないことだ」という在日外国人のコメントを添えていた。筆者も、数十年前のことだが、西洋の知識人から「日本の男子中高生が坊主頭になり、黒い詰襟の制服を着ている姿は、われわれには異様に映る」という感想を聞いたことがある。今では学校も変わっていることだろう。だが、日本の価値体系やしきたりの中には、外国人にうすきみわるいと感じさせるものがある。今回の、女性の頭丸刈り謝罪の映像は、日本人が感じる以上に、外国から見た日本のイメージをゆがめる効果あったはずだ。
というのも、第2次大戦後のフランスで、ドイツ占領以下でドイツ兵と性的な関係を持った女性をよってたかって丸坊主にするというリンチが行われたのは有名な話だ。記録写真もたくさん残っている。中でも、ロバート・キャパがシャッターを押した一枚は衝撃的だ。ドイツ親衛隊員の子を産んだフランス人の女性が頭を丸刈りにされたうえ、さらし者にされる姿だ。彼女は赤ん坊を抱いたまま町中を歩かされた。多分、西洋人はこの記憶の延長戦線上で今回の丸刈り謝罪の異様さと無残さを感じ取るだろう。
同時に、ドイツ占領下のヴィシー政権下で、間接的にドイツにすり寄ることで生き延びてきた人々も、解放されたとたん、人が変わったように「自由フランス」を唱え、女性の髪を切る側に回った。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというわけで、髪切りに賛成しただけではなく、フランスはもともと対独協力国ではなかったのであると、広く世間に示すねらいもあったのであろう。安直にして簡便な禊の手法だ。
そうした背景があるので、若い女性の丸刈り謝罪を見ると、その女性自主的な選択なのか、あるいは背後に組織的な目論見によるそそのかしや強制があったのではあるまいかと、ついつい疑ってみたくなる。
朝日新聞は危機管理の問題としてこの一件を取り上げている。オリコンによると、AKBのCD、DVD、ブルーレイ・ディスクの昨年の売り上げは191億円だったという。黄金を生み出す商品のイメージに傷がつかないようにとの、商品イメージ防衛のための応急手当だったのではあるまいかと、書き方だ。
オリコンのサイトには、AKBの「真夏のSounds good!」というシングル盤の写真はビキニ姿の若い娘たちの写真だ。商売のためならビキニ姿をさらすのもOK.だが、グループの商品価値に人気に水を浴びせかねないメンバー個人の恋愛沙汰はNO、ということなのだろう。
黒髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだる
と、自らの愛を詠ったのは、明治の与謝野晶子だ。妻帯者だった与謝野鉄幹と、当時いうところの不倫の関係を経て、鉄幹が前の妻と離婚したのちに、彼と正式に結婚しているが、世間の非難に与謝野晶子が黒髪を切って詫びを入れようとしたような話は残っていない。商品化されることなく、品資質管理下に置かれることもなかった人はよく知られたこんな歌も読んでいる。
やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
(2013.2.2 花崎泰雄)