老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『ソウル市民 1919』

2011-11-15 22:14:55 | 演劇


きのうの午後ハノイに戻ってオフィスに行ったらシゴトが全然進んでいなくてかなりアセッた。考えてみれば土曜ときのうの午前しか時間はたっていないのだからそんなもんかもしれない。そのかわりスタッフの一人、いちばん若くていちばん頼りになるオンナの子が土曜日にバイクで事故に遭って、けさ、片腕をだらーンとさせてヨロヨロしながら出てきた。あごのあたりも傷になってるし。そのケナゲさにオヂサン思わず泣きそうになった。ベトナム人もいろいろだ。
ま、そういうイマ的な、実際にはアノ頃とさして変わらない海外進出の現場にいながら、コノ芝居のことについて書いておく。

2本目のコレは1本目から10年後の、同じ篠崎文房具店が舞台。韓国併合が行われて10年後、日本国内で朝鮮人が独立宣言を発表したことから京城(今のソウル)で市民たちが口々に万歳、万歳とささやきながら歩き回るという、じつに平和的な三・一独立運動が広まっていく。平和的だからニッポン人は何が起きているのか理解できない。お祭りか、みたいな。相変わらず平和ボケが続いている。ニッポンからややインチキな相撲取りが興行に来たりもする。
家族は、朝鮮人もキョーイクすれば使えるようになるとか言いながら一見優雅な植民地的生活を続けている。現地人を使う海外進出企業と同じだ。ここはニッポンとは違うから、ニッポンの堅苦しいしきたりはやめましょう、みたいな感覚はすごくよくわかる。

第2話は、といっても連続ドラマではないので基本的にそれぞれ独立した話なのだが、第1話と違ってだんだん話が盛り上がっていって、朝鮮人の使用人たちが次々にその運動に参加するために家を出ていくのに、ニッポン人たちは外で何が起こっているのか気がつかない。ジブン達は朝鮮人のヒト達のために韓国併合をしたワケだし、朝鮮人のヒト達もソレを喜んでくれていると信じて疑わない。そういう、いまならそんな話、どっかであったと思わせるようなコトを、ニッポンの侵略という、いまでもソレを美化したいと思っているヒトがソコココにひそんでいるアブナイ話題をネタにして、客観的にそのおかしなコトを笑おうというオハナシ。
舞台の上では笑いがだんだん苛立ちとか不安に変わっていく。そのあたりがコノ芝居のキモ。

2011.11.12 吉祥寺シアター

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