老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『ソウル市民1939 恋愛二重奏』

2011-11-18 22:58:54 | 演劇


きのうは久しぶりに走った。6時10分前、もやが立ち込めて、バイクがヘッドライトをつけて歩道を突っ走ってくる。ガイジンだから文句も言えず、右へ左へステップ踏んで湖にたどり着く。気温20度、湿度100%。2キロくらい走っただけで汗びっしょり。そのあとは濡れたTシャツが冷たくて、家に帰って温かい風呂につかる。
いまのソウルとか上海とかでこうやって走っている単身フニン者はどれくらいいるんだろう。石とか投げられないのかなあ。ちなみにハノイでもわざと足を引っ掛けられそうになることはたまにある。進出と侵略の区別の無意味さに敏感なヒト達だ。

さてと、4作目はいよいよ戦争たけなわ、って言い方、いいのか悪いのかわからないが、篠崎家の周囲でも招集されたり志願したりでオトコたちが戦争に出ていく。ソレをおめでとうございます、と言って送り出すオンナたち。要するにそういう雰囲気。戦争なんかやめちまえなんて誰も言えない。ま、ニッポンって国はいまも似たようなもんだが。そういう時代のオトコとオンナの話。

朝鮮人の書生で国家公務員になったヒトは志願して出ていく。そのヒトは篠崎家の女中のオンナ、コレも変な言い方?、ま、そのオンナのことをひそかに思っていて、出征する前にソノことを告白したいと思っている。ソレを周囲の人間もわかっていてなんとかそういうふうにし向けようとして、結局最後の家族そろっての食事の前に二人で外に出る。誰かが武運長久を! みたいに言ったらワタシの前に座っていた、ワタシより年上の、ということは戦後すぐに生まれた世代のオバさんたちのグループがドッと笑った。ああ、ここはウケる場面なのかと。戦後焼け跡世代にはそういう戦争中の男女の機微のようなものが、時代の記憶として残っていたのかと感慨深く思った。少なくともワタシにはそういう感覚はなかったから。

恋愛二重奏っていうのはもう一組、ニッポン人の女学生に恋する朝鮮人の書生の話がそこに絡んでくるから。ソレはやっぱりキンダンの世界という感じで、まわりはアブナげに見ている。まあコッチでもカラオケのアオザイおジョーとかとできちゃったオトコの人を見ると、みんな半分以上はあ~あ、みたいな顔で見る。やっぱりそこには目に見えない大きな壁がある。
あとはヘンテコなドイツ人のオンナが出てきて、それはヒットらー親衛隊のニセモノなのかもしれないのだが、ココでもまた何がホンモノでナニがニセモノなのかわからないことで大騒ぎする。スパイなんじゃないかとか。ギシン暗鬼っていうんでしょうか、そういう空気が漂っていたということか。
それでニッポンはドイツにも背中を押されてアメリカとの泥沼の闘いに向かっていく。悪いトモダチと付き合ったのが悪かったのか、と思わせるような展開。

戦争という狂気の中でのオトコとオンナの恋を、泥沼の中のあぶくのように浮かび上がらせたかったんだろう。が、3作目で株屋と婚約していた長女が、その株屋が大恐慌で破産して、その後別のオトコと結婚したのに、その夫が戦争から帰ってきたあとでヒトが変わったようになっていて、もうかつての夫には戻らないだろうという不幸を、演技とばかりは言えない不幸を呼び込むような存在そのものとして出ずっぱりだったのがワタシには耐えられなかった。

2011.11.13 吉祥寺シアター

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