昨日のコノ芝居、まあ何と言ったらいいのか、どうヒイキ目に見てもよかったとはいえないのだが、、だからといって底が見えたとかそんなことにはならない。これまで観た蓬莱サンの作品の中では、ってまだ3つしか見てないが、話そのものというより芝居の形式というか、手法的なおもしろさのほうに走ったモノのように感じられた。「まほろば」にしても「夜光ホテル」にしても話としてはわかりやすい題材で、淡々と進んでいったのが途中から一気に予想してない方向に展開して盛り上がっていく感じだったので、どうしてもそういう高揚感を期待してしまっていたのだが、そういう意味ではかなり期待はずれデシタ。
始まりは鶴田マユさんが演じる、父親が気が狂っていてほとんど寝たきりで、ハラ違いの兄がいつも酒を飲んだくれている不幸な家の娘が舞台で一人でつぶやく。わたしには見える、って。あなたとはうまくいかないのがはじめからわかっていた、みたいなこと。
で、それに続いて4人くらいの人間が子どもの頃から大人になっていくのが早回しのように演じられて、その子どもより少し年上の鶴田さんがその中の一人の、どうみてもメメしくてどうしようもない男と結婚してしまう。でもやっぱりその男はどうしようもなくてやがて破綻するのだが、そのときに鶴田サンがもう一度、あなたとはうまくいかないのは初めからわかっていた、という。で、そのあとはその男が自己崩壊していくみたいな感じで一瞬のうちに話は終わる。
そうするとまた初めの4人の人間が子供のころの情景が始まって、まったく同じように話が進むのだが、今度はその鶴田さんは、相手は同じ男なのだが中身はチョー暴力系で、でまた同じように結婚するのだが全く別の人生を歩む。ところがそれもやがて破綻しておなじようにあなたとはうまくいかないのは初めからわかっていた、ってことになる。そういうのがもう一回りあって何か最後は子どもが集まって遊んでいるようなそういう日常の風景が大きな音の中に消えていくようにして終わる。
こんな感じなので話の面白さみたいなものをジブンから否定するような展開。ツマリ、ストーリーなんてどうにでもなるっていうか、それはそれぞれの人間の一生と同じで、毎日毎日のわかれ道のどっちを選んだかで結果がまったく違ってくる、そういう作られた話なんてどこにもない、みたいなことを言いたがっているような。それとニンゲンの不幸が、それが初めからそうなるのがわかっていたみたいな感覚。それは必ずある。そういう初めから感、というか、結果が先にあって、そこに向かって転げ落ちていくような感じ。
それでも、、それでこの芝居はなんだったのか、よくわからない。
2009.2.22 吉祥寺シアターにて
始まりは鶴田マユさんが演じる、父親が気が狂っていてほとんど寝たきりで、ハラ違いの兄がいつも酒を飲んだくれている不幸な家の娘が舞台で一人でつぶやく。わたしには見える、って。あなたとはうまくいかないのがはじめからわかっていた、みたいなこと。
で、それに続いて4人くらいの人間が子どもの頃から大人になっていくのが早回しのように演じられて、その子どもより少し年上の鶴田さんがその中の一人の、どうみてもメメしくてどうしようもない男と結婚してしまう。でもやっぱりその男はどうしようもなくてやがて破綻するのだが、そのときに鶴田サンがもう一度、あなたとはうまくいかないのは初めからわかっていた、という。で、そのあとはその男が自己崩壊していくみたいな感じで一瞬のうちに話は終わる。
そうするとまた初めの4人の人間が子供のころの情景が始まって、まったく同じように話が進むのだが、今度はその鶴田さんは、相手は同じ男なのだが中身はチョー暴力系で、でまた同じように結婚するのだが全く別の人生を歩む。ところがそれもやがて破綻しておなじようにあなたとはうまくいかないのは初めからわかっていた、ってことになる。そういうのがもう一回りあって何か最後は子どもが集まって遊んでいるようなそういう日常の風景が大きな音の中に消えていくようにして終わる。
こんな感じなので話の面白さみたいなものをジブンから否定するような展開。ツマリ、ストーリーなんてどうにでもなるっていうか、それはそれぞれの人間の一生と同じで、毎日毎日のわかれ道のどっちを選んだかで結果がまったく違ってくる、そういう作られた話なんてどこにもない、みたいなことを言いたがっているような。それとニンゲンの不幸が、それが初めからそうなるのがわかっていたみたいな感覚。それは必ずある。そういう初めから感、というか、結果が先にあって、そこに向かって転げ落ちていくような感じ。
それでも、、それでこの芝居はなんだったのか、よくわからない。
2009.2.22 吉祥寺シアターにて