義母が日本で過ごすのも残り4日となりました。約3週間の滞在はあっという間に過ぎていきそうです。義母は実は私とは正反対の性格で、恐らくこのアジアのはねっかえり娘(という年齢ではありませんが、義母からすれば小娘でしょう)に初めはびっくりしたことでしょう。
義母と初めて会ったのはコペンハーゲンの空港でした。迎えに来てくれたのですが、西洋人イコール大げさなリアクションをイメージしていた私は、そして特にアメリカに当時住んでいたので、義母の挨拶もそこそこの感じには正直拍子抜けしたものでした。今になると義母のとまどいは理解できるのですが、未来の嫁としてはちょっとさみしい気持ちになったのを覚えています。
そして当時私はちょうど妊娠中で、初めてご厄介になるお宅なのに、あれも食べたくない、これも食べたくない、そして朝食が済むと疲れてベッドで休んでいる・・・と相当なわがままな人に思えたことでしょう。(その後、何度も義母の家に滞在し、今では私は本当は何でも食べられる人だとわかってくれたと思いますが。)そのときはなぜかみかんだけがおいしく食べられて、義母がキッチンにみかんを切らさないように用意してくれたり、外出するときはプラスティックバックにみかんを数個入れて持たせてくれたりしていました。確か次の年にデンマークに行ったときにも、みかんを買っておいてくれたように記憶しています。私はみかんしか食べられないという印象だったのかなと思うとちょっと笑ってしまいますが。
それだけでなく、妊娠中で気持ちが不安定なことと、もともとの気性の荒さ(?)ゆえに義母の前で夫としょっちゅう喧嘩をしていたのでありました。きっと義母はなんでこんな子を結婚相手に選んだのかと自分の息子を嘆いたに違いありません。
これが義母とのなれそめですが、もう5年以上前のことなのですね。とても懐かしく思います。義母と私は共通言語がない分、理解しあうのに時間がかかりましたが、今では私にとって大事な人になっています。「お母さん」というのとは違うのですけど、それでもいろいろと学ぶべきところのある、また私をさりげなくサポートしてくれる存在です。いつからか義母の家に行くと、なんだか実家に帰ったような気持ちになるようになりました。実家のない私の、ぬくぬくとしたそして世界で唯一の子供に戻れる場所、です。
義母と初めて会ったのはコペンハーゲンの空港でした。迎えに来てくれたのですが、西洋人イコール大げさなリアクションをイメージしていた私は、そして特にアメリカに当時住んでいたので、義母の挨拶もそこそこの感じには正直拍子抜けしたものでした。今になると義母のとまどいは理解できるのですが、未来の嫁としてはちょっとさみしい気持ちになったのを覚えています。
そして当時私はちょうど妊娠中で、初めてご厄介になるお宅なのに、あれも食べたくない、これも食べたくない、そして朝食が済むと疲れてベッドで休んでいる・・・と相当なわがままな人に思えたことでしょう。(その後、何度も義母の家に滞在し、今では私は本当は何でも食べられる人だとわかってくれたと思いますが。)そのときはなぜかみかんだけがおいしく食べられて、義母がキッチンにみかんを切らさないように用意してくれたり、外出するときはプラスティックバックにみかんを数個入れて持たせてくれたりしていました。確か次の年にデンマークに行ったときにも、みかんを買っておいてくれたように記憶しています。私はみかんしか食べられないという印象だったのかなと思うとちょっと笑ってしまいますが。
それだけでなく、妊娠中で気持ちが不安定なことと、もともとの気性の荒さ(?)ゆえに義母の前で夫としょっちゅう喧嘩をしていたのでありました。きっと義母はなんでこんな子を結婚相手に選んだのかと自分の息子を嘆いたに違いありません。
これが義母とのなれそめですが、もう5年以上前のことなのですね。とても懐かしく思います。義母と私は共通言語がない分、理解しあうのに時間がかかりましたが、今では私にとって大事な人になっています。「お母さん」というのとは違うのですけど、それでもいろいろと学ぶべきところのある、また私をさりげなくサポートしてくれる存在です。いつからか義母の家に行くと、なんだか実家に帰ったような気持ちになるようになりました。実家のない私の、ぬくぬくとしたそして世界で唯一の子供に戻れる場所、です。
私もこういう家族についての話をもう少し書いていきたいと思っています。