しのぶ
小さいときから、しのぶは自分が水俣病であることを知っていた。
「ばってん、なんしてか、わからんじゃった。食わんじゃった…悪か魚は…悪か魚は、食わんじゃったとに、なんして病気じゃろか。お父さんとお母さんにきいた…言わんじゃった。」
「いつか、お母さんと私とふたりっきりだったけん、お母さんにきいたとよ。『水俣病てどげん病気ね?』ち。お母さんだまっとらした…でていった。お母さんは泣くところば見らるっとようなかて思わしたとよ。お母さんは優しかばってん、憎らしかったとよ。海ば見に行かした。私は走っておいかけたとよ。はなれてから夕陽ば見たと。1時間半。海、ほんとに…なんしてか美しかった。考えたよ。『私の病気は…なおらんと。海はこげん美しかて、なんしてこげんひどかこつのあっとね』
「その晩、お母さんの前で言いたかった『いつか、ようなるて思う』ち。お母さん、お父さんの前では元気のなかとはようなかち思った。」
「そっで、なして…こげんなったか…考えた。」
3年のとき、しのぶの学校はバス旅行に行った。
「私は考えたと。『なんして特殊学級の子どもたちはバスのうしろに坐らんばんとだろうか。みんなおんなじ人間じゃなかね?』ち。そん旅行んときにね、どぎゃんふうに病気になったかわかったとよ。先生たちがしゃべっとらしたとば聞いたよ。ひとりの先生が、私んこつばしゃべっとらした。『ああ、あん子は胎児性だ。母親が汚染した魚を食べて、生まれつき病気になった』ち。ショックだったよ。はじめてわかったとよ。」
「バス旅行のあいだずうっと考えとった。恐ろしかこつば考えとった。お母さんが憎らしかったと。私を病気にした。恐ろしか。恐ろしか。恐ろしか、私が考えたこつは。出刃ぼうちょうで殺そうて決めたよーグサッーそっで、自分も死のうて。恐ろしか…恐ろしか…そげんせんだったとは、弟がかわいそうかし、お母さんもかわいそうか。ばってん、6年になるまで、ときどき考えたこつのあるとよ…自分だけ死ぬこつもときどき考えた。一回したばってん、お医者さんにおごられただけだった。」
「お父さんとお母さんがおられんごつなれば…心配…。自分でなんでんせんばち思えば心配…自分でしやならんど。ほんとは、ほんとは、残ってもらいたい、みんなに。」
写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス