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東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと(2)  菅 直人氏

2013年03月28日 | 

 ①ベント

3.11の東日本大震災の翌日3月12日に首相は、福島第1原子力発電所と被災地の上空からの視察へと向かった。

本によれば、12日0時6分の段階で、現地では吉田昌郎所長が一号機のベントの準備の指示を出していて、官邸では1時過ぎから協議してベントを決定していた。首相が東電の武黒フェロー(副社長)にどれくらいの時間でベントが出来るのかを尋ねると、武黒フェローは、「準備に二時間ほどかかる」と言った。

三時にベントをするという前提だったが、5時の段階でベントは始まっていなかった。

首相は7時12分に福島第一原発に到着する。

そこで吉田所長から「電動でのベントはあと4時間ほどかかる、そこで手動でやるかどうかを一時間後までには決定したい」という説明を受ける。

ベントは午前3時のはずだったが、予定時刻から4時間過ぎていてさらに4時間待てというので、首相は「そんなに待てない、早くやってくれないか」と言うと、吉田所長は「決死隊を作ってやります」と首相に答える。

しかし、15時36分に1号機が水素爆発してしまう。

(1号機は11日20時頃には、燃料が圧力容器の底に落下し始め、メルトダウンが始まっていたと思われる)

 

②東電撤退

3月15日午前三時頃、首相は海江田大臣から「東電が原発事故現場から撤退を申し入れてきていますが、どうしましょう。原発は非常に厳しい状況にあります」と告げられる。

首相は、「撤退したらどうなるか分かって言っているのか。一号機、二号機、三号機、全部やられるぞ。燃料プールだってあるんだ。そのままにして撤退したら、福島、東北だけじゃない、東日本全体がやられるぞ。厳しいが、やってもらうしかない」と答えている。

首相は、このまま事故が収束出来なかった場合は、首都圏まで避難区域が拡大するであろうことと、そうなった場合は、日本という国家の存続が危うくなると認識していた。

 

首相は、3月15日5時30分過ぎに東電本店に到着する。

東電の幹部・社員の前で首相はこう話す。

*前文は省略

「皆さんは当事者です。命を懸けてください。逃げても逃げ切れない。情報伝達が遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、委縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のこととともに、10時間先、一日先、一週間先を読み、行動することが大切だ。

金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれない時に、撤退はあり得ない。会長、社長も覚悟を決めてくれ。六十歳以上が現場へいけばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる。」

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