夕方のテレビのニュースを見ていて、その報道の姿勢にどうも釈然としなかった。
「小中学校の教科書会社が検定中の教科書を教員らに閲覧させていた問題で、教科書会社22社のうち12社がこうした行為をしていたことが文部科学省の調査で分かった。」とニュースは伝える。
のべ5000以上の教員が検定中の教科書を閲覧していたという。
5000人の教員のうち、約4000人は現金や図書カードなどの謝礼を教科書会社から受け取っていたそうだ。
しかし、報道する側は、『検定中の教科書を外部に見せることは文科省の規則で禁止されている。採択関係者に金品を渡す行為は業界の自主ルールで禁じられているが、違反が横行していた。』と、教科書会社の不正を言うばかりであった、という印象だった。
謝礼は最高で現金5万円であったり、3000円の図書カードであったり。帰る際には、2000円相当のお土産まで持たせるという、「接待」そのものであった。昼を挟めば、当然昼食もご馳走になるだろうし、帰りのタクシー券くらいは貰っただろうと想像できる。
教科書会社の幹部が頭を垂れて謝罪するという、お決まりの映像が流れていた。
教科書会社は、教員のみならず、教科書の採択権限を持つ教育委員会の教育長や教育委員も当然接待していた。そういう権限を持つ連中には、謝礼のみならず、盆暮れの付け届けをしていたというから、教科書会社の下心はミエミエではないか。
まず教育者達がこのレベルであることを、報道する側はキッチリ批判・追及すべきであろう。
それどころか、不正の実態を証言したいという、過去に閲覧に招かれたという教員がウダウダ喋る映像を顔を映さず流していたが、もしかしてアレは、あのテレビ局お得意の「やらせ」映像ではなかったか?
私は、正義漢ぶって教科書会社の「接待ぶり」をベラベラ話す男性教員の映像を見ていて、吐き気をおぼえた。
教員や教育委員会とは、かくも常識をわきまえない人間の集まりなのか。
子供を託す大人たちは、もう少しそちらの方に厳しい目を向けるべきだ。
さらに、ピントがズレ気味の報道には何らかの方法で、苦言を表明しなければ、いつまでたっても「マスごみ」としか呼ばれない存在は変わらないだろう。
「小中学校の教科書会社が検定中の教科書を教員らに閲覧させていた問題で、教科書会社22社のうち12社がこうした行為をしていたことが文部科学省の調査で分かった。」とニュースは伝える。
のべ5000以上の教員が検定中の教科書を閲覧していたという。
5000人の教員のうち、約4000人は現金や図書カードなどの謝礼を教科書会社から受け取っていたそうだ。
しかし、報道する側は、『検定中の教科書を外部に見せることは文科省の規則で禁止されている。採択関係者に金品を渡す行為は業界の自主ルールで禁じられているが、違反が横行していた。』と、教科書会社の不正を言うばかりであった、という印象だった。
謝礼は最高で現金5万円であったり、3000円の図書カードであったり。帰る際には、2000円相当のお土産まで持たせるという、「接待」そのものであった。昼を挟めば、当然昼食もご馳走になるだろうし、帰りのタクシー券くらいは貰っただろうと想像できる。
教科書会社の幹部が頭を垂れて謝罪するという、お決まりの映像が流れていた。
教科書会社は、教員のみならず、教科書の採択権限を持つ教育委員会の教育長や教育委員も当然接待していた。そういう権限を持つ連中には、謝礼のみならず、盆暮れの付け届けをしていたというから、教科書会社の下心はミエミエではないか。
まず教育者達がこのレベルであることを、報道する側はキッチリ批判・追及すべきであろう。
それどころか、不正の実態を証言したいという、過去に閲覧に招かれたという教員がウダウダ喋る映像を顔を映さず流していたが、もしかしてアレは、あのテレビ局お得意の「やらせ」映像ではなかったか?
私は、正義漢ぶって教科書会社の「接待ぶり」をベラベラ話す男性教員の映像を見ていて、吐き気をおぼえた。
教員や教育委員会とは、かくも常識をわきまえない人間の集まりなのか。
子供を託す大人たちは、もう少しそちらの方に厳しい目を向けるべきだ。
さらに、ピントがズレ気味の報道には何らかの方法で、苦言を表明しなければ、いつまでたっても「マスごみ」としか呼ばれない存在は変わらないだろう。