孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

反日テレビ局は南朝鮮の味方です。

2015年12月18日 | 日記
産経新聞元ソウル支局長の無罪の報道を、今朝の報道番組で見ていると、やはり日本が嫌いなテレビ局の報道姿勢は、実に巧妙に反日的であるので笑ってしまった。



加藤氏の産経WEBニュースの『朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?』というコラムは、あくまでも朝鮮日報という発行部数230万部の、南朝鮮で最大の新聞のコラムを土台にして、こんなことが南朝鮮で話題になっています、というものであった。

以下、そのコラムの抜粋・・・

(朴槿恵大統領に対する)不満は、あるウワサの拡散へとつながっていった。代表例は韓国最大部数の日刊紙、朝鮮日報の記者コラムである。それは「大統領をめぐるウワサ」と題され、7月18日に掲載された。



 コラムは、7月7日の青瓦台秘書室の国会運営委員会での業務報告で、セウォル号の事故の当日、朴大統領が午前10時ごろに書面報告を受けたのを最後に、中央災害対策本部を訪問するまで7時間、会った者がいないことがわかった」と指摘。さらに大統領をめぐる、ある疑惑を提示した。コラムはこう続く。(中略)

世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」。



 「秘線」とはわかりにくい表現だ。韓国語の辞書にも見つけにくい言葉だが、おそらくは「秘密に接触する人物」を示す。コラムを書いた記者は明らかに、具体的な人物を念頭に置いていることがうかがえる。コラムの続きはこうなっている。

「大統領をめぐるウワサは少し前、証券街の情報誌やタブロイド版の週刊誌に登場した」

 そのウワサは「良識のある人」は、「口に出すことすら自らの品格を下げることになってしまうと考える」というほど低俗なものだったという。ウワサとはなにか。

 証券街の関係筋によれば、それは朴大統領と男性の関係に関するものだ。相手は、大統領の母体、セヌリ党の元側近で当時は妻帯者だったという。

だが、この証券筋は、それ以上具体的なことになると口が重くなる。さらに「ウワサはすでに韓国のインターネットなどからは消え、読むことができない」ともいう。一種の都市伝説化しているのだ。

コラムでも、ウワサが朴大統領をめぐる男女関係に関することだと、はっきりと書かれてはいない。コラムの記者はただ、「そんな感じで(低俗なものとして)扱われてきたウワサが、私的な席でも単なる雑談ではない“ニュース格”で扱われているのである」と明かしている。

おそらく、“大統領とオトコ”の話は、韓国社会のすみの方で、あちらこちらで持ちきりとなっていただろう。(後略)

***

こういう加藤氏の報道した当時の南朝鮮事情は、加藤氏が朝鮮日報のコラムを元に巷の雰囲気を伝え、女酋長がすでにレイムダック化した状態であると伝えている。

日本の反日テレビ局はそこをうまく誤魔化して、いかにも加藤氏がありもしない女酋長の噂話を広めて、名誉を毀損したと訴えられた裁判・・と、報道していたのである。

そういえば、そのテレビ局お抱えの貧乏神のような「評論家」は、この間の靖国神社トイレの爆発テロ事件について、「だれでも入るような神社のトイレに入ったのが建造物侵入になるのでしょうか?」と、テロなどそっちのけで大好きな朝鮮人の味方をしていた。



それにしても、南朝鮮の性悪さには呆れる。今回の加藤氏の無罪判決についても、韓国外務省は、「日本の政界や各界から、韓日関係の障害になっている」と言われているので、この点を配慮してくださいよ、と韓国法務省に伝えたと言ってのけた。

今日の産経新聞朝刊で元外交官の佐藤優氏が、珍しく的を射たことを書いていた。曰く・・・

『韓国側は2つのポーズをとっている。一つは韓国国内向けのもので、「今回は、特別な扱いをしただけだから、我慢してくれ」というもの。もう一つは日本向けのもので「特別扱いをしたのだから、感謝しろ」というものだ。日本政府は、こうした貸しを作ったかのように見せる韓国側の手に乗ってはならない。』

まったく、反吐が出るほど卑しいい土人どもである。

言論の不自由な隣国・・・

2015年12月17日 | 日記
産経新聞のソウル支局長だった加藤氏が無罪となったが、当然過ぎてコメントのしようもない。とんだ迷惑を被ったものだと加藤氏には同情する。

朝鮮部族の性悪さだけが世界中に喧伝された『事件』であったが、元来南朝鮮のマスコミが伝えた報道を、「こちらでは、こんな風に報道されている・・・」と産経WEBサイトで紹介しただけなのに、これが名誉毀損だとして、加藤氏だけが起訴されたのだった。



パンツ姿の船長ですっかりお馴染みの、去年のフェリー転覆事故の直後のことであった。

とんでもない事故の最中に、いい歳こいて未だ一人身の女酋長はお気に入りの男と密会していた・・・、何か『いいこと』でもしていたんじゃないか?・・・といった感じの地元マスコミの報道だった。

いわゆるイエロージャーナリズムの類の記事を引用しただけなのに、こともあろうに韓国大統領府や在日韓国大使館は、加藤氏に「名誉毀損などにあたる」として記事削除の要請を求めたというのだから、噂は事実だったようである。


さらに、先月にはソウル地検が、学術研究書で慰安婦を「売春婦」と表現した、世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授を、元慰安婦の女性の名誉を毀損(きそん)したとして在宅起訴した。



2年前に出版された朴教授の『帝国の慰安婦』は、いわゆる従軍慰安婦とは「自発的な売春婦」であり、「日本軍と同志的関係にあった」などと、事実に基き、極々まともなことが書かれていた。

嘘を嘘で塗り固めた連中には、これが癪に障ったのだった。

嘘つき婆さん達に、女酋長を始めとする南朝鮮の土人たちはみんなで加勢して、極めてまともな大学教授をいじめにかかった。

一旦嘘をついたら、徹底的に突き通さなければならないのであろう。

この件でも、南朝鮮部族は世界中から総スカンを喰らうことになった。

今や、欧米では南朝鮮からやってきた若い女性たちというと、反射的に「売春目的の入国」と思われてしまっているようだ。



言論の不自由さでは、右に出る国はない。法律などあってもなくてもいい。最優先するものは、「国民情緒法」なのである。

価値観を共有する隣国???

ケッ! トンでもハップン、歩いてジュップンだよ!! (←古っ!ww)

やはり、日教組は国を滅ぼす。

2015年12月16日 | 日記
先週末、このブログで話題にした共産党の小池 晃の発言を実践するバカ教師が埼玉県春日部市に存在していた。



その小池の発言というのは、以下の通りであった。****

「憲法を守ろうとか、安全保障法制は反対、問題ありますよねということを先生が言わなくっちゃあ、教育になんない」

さらに彼は、主権者教育での政治的中立性について「こういう問題で中立っていうのが果たしてあり得るのか。戦争はいけないということを先生が堂々と言わなければ教育にならない」と強調した。



****

あの悪夢の民主党政権下でも百万年前のトカゲのような顔をした山梨の教職員組合のドンとかいう老参議院議員が日教組の集会で同じようなことを言っていたのをご記憶だろうか?



そして、この度の埼玉県春日部市の中学校教師というのが、今日のニュースで報道されていた。こういう報道をしてくれるのは、産経だけだ。以下、産経ニュースより。

埼玉県春日部市の市立豊春中学校の男性教諭(53)が9月、ホームルームで安全保障関連法への反対デモを取り上げた共産党機関紙「赤旗」のコピーと安倍晋三首相の70年談話を「欺瞞(ぎまん)」と批判する文書を配布していたことが15日、関係者への取材で分かった。教諭は12月上旬にもマイナンバー制度を批判する文書を配布。市教委は「政治的中立性を欠いた指導を繰り返している」として処分を検討している。

 関係者によると、教諭は2年のクラス担任で、生徒が行う「今日の気になるニュース」と題した用紙に新聞記事を貼って感想を発表する活動で9月、急遽発表を担当。安保法に反対する学生グループ「SEALDs(シールズ)」のデモと主張を扱った赤旗記事を貼り、「政権の長たるだれかさんの答弁よりも、よっぽどこの法案の本質を言い当てている」などと記した。

 外部から指摘を受けた市教委が9月、学校に調査を指示。校長は教諭を指導したが、12月に再び「マイナンバー違憲訴訟」の記事を貼り、「国家による管理・統制、つまりは昔歩んだ危険な道への後戻りを感じさせる」などと記述し配布した。



この手の国賊教師は、日本全国にウヨウヨいるはずである。18歳から選挙権が付与されることになって、日教組はやっきになって子供たちの洗脳に着手していることが明らかになった。

こういう教師に教えられる子供たちは実に哀れではないか。

群れたがる日本人。

2015年12月15日 | 日記
映画やアニメーションなどで、鳥や魚の群れの動きを描く場合は、一匹ずつの動きを描いては手間がかかりすぎるため、プログラムを組んでいわゆるCGを活用するそうだ。

そのプログラムはいたって簡単で、群れの動きとなるためにルールを3つ規定するだけだそうだ。

それは、1.集団がいる方へ近づくこと。 2.近づきすぎたらぶつからないように離れること。 3.近くの仲間と方向と速さを合わせる事。

個々にこのルールを適用すると、あの群れの動きをするのだそうだ。



群れに加わるべきか、加わらざるべきかなどと考えることをせず、3つのルールに基くだけで、個々の存在は消滅したようになり群れの一部と化すことになる。

群れに加わることで、小魚などは天敵から身を護る効果が期待でき、個は運命を群れに委ねることになるようだ。確かに水族館などでイワシの群れを見ていると、その群れが一つの生き物のように見えてくる。



人間も似たようなもので、最近自分は時代に取り残されてはいないだろうか、他の人たちに置いてきぼりを食っていないだろうか、と常に気にしていなければ不安になるようだ。

アレが流行っていると聞けば、「取り合えず」試してみようとするし、みんながそうすると言えば、「あれ?そうかな?」と思っても多くには逆らおうとはしなくなるものだ。『長いものには巻かれた』方が安心するからだろう。



左右前後だけを常に見ながら、付かず離れずしていれば、一人でいるより心強いし、これからどこにどうやって進もうか、などと悩む必要もなくなるのである。

アメリカでお世話になった先生が、「私は家族・親戚の中ではブラックシープだったのよ。今でもそうだけど・・。」と言っていたずらっぽくウインクしていたが、この表現は、要するに、Black Sheep 毛色が違う変わり者、といった意味なのだろう。

若い頃はかなりヤンチャな少女だったようで、大人になってからもいろいろご両親や兄弟達には迷惑がられることをしでかしたようだった。

それだけに、この先生と話をしていると、必ずと言っていいほど「私はこう思うけど、あなたはどう考える?」と問いかけられたものだった。

そして、これがなかなかいい訓練になって、何かを言うときはあまりいい加減なことは言えないな、というようになってくるのだった。



日本人に何か意見を聞くと、ニタッと微笑んで黙りこくってしまうのは一般的な光景である。外国の人はこういう態度は「不気味」に感ずるそうだが、小さい頃から出る杭にならないように育てられると、あんな風になるのであろう。

何も真似して外国人のように育てる必要もないのだろうが、外国の人たちの思考パターンを理解しておくことは、今の時代には必要なことだろう。

周りの空気に流されて、何も英語、英語とあくせくする必要はない。TOEICで高得点すればすべていいというものでもない。

カミさんのスケートシーズン真っ盛り!

2015年12月14日 | 日記
カミさんの大好きなスケートシーズンが真っ盛りで、毎週生き生きとしてテレビの前にデンと陣取って観戦に夢中である。

もちろんフィギュアスケートのことで、男女とも上位に入賞可能な選手がいるので、目が離せないらしい。

スペインのバルセロナで行われたグランプリファイナルでは、男子が1位と3位、女子は2位という結果であった。



場内は日本からの追っかけファンが日の丸を広げて大歓声を送っている光景がテレビに映し出されていた。テレビ朝日などは、日の丸など映したくもないのだろうが、あれだけ多いと、映さないわけにはいかないらしい。



今日の夕方のニュース番組でも、特に男子の羽生選手の演技に対する高評価をどの局も伝えていた。「世界最高得点」だという。

うちのカミさんも、夕べのテレビで、「決めポーズの後のドヤ顔」を見るんだと、大騒ぎしていた。



私もつられて見てしまったが、確かにすばらしい演技で、最期の「ドヤ顔」も決してオーバーには見えなかった。

カミさんは、毎年毎年フィギュアスケートに精通していき、今やテレビの解説者以上に演技を見ながら、一人で解説しては悦に入っている。

「4回転成功!、トリプル・ルッツ!、トリプル・トゥループ!・・・、あぁ!ちょっと回転不足かなぁ?・・・」などと、私には皆同じように見えるジャンプも、興奮しながら一人で実況している。



テレビの解説者が、「あぁ、手をついてしまったので減点になります。」などと言おうものなら、カミさんはすかさず、「そんなこといちいち言わなくたって、みんな知ってるよ!!」などと解説者を叱りつけていた。

男子のスペインの選手は安藤選手の彼氏だ、とか、その選手のコーチと羽生選手のコーチは同じだとか、合間に教えてくれる。

アメリカの何とかという美人選手は、羽生のことが好きなんだって・・などと、どこで仕入れてきたのか、どうでもいい情報も合間に挟んでから、演技が終わると、勝手に「う~ん、187点かな・・。」などと予想して、それが的中すると「ほら!私審査員になれるよねっ!」などと有頂天になっている。

夕べは浅田真央選手が不調であったが、その分体の小さな宮原知子選手ががんばった。彼女は練習の虫だそうで、努力の甲斐があって本当によかった。



演技後のインタビューを聞いていても、聞かれた質問から逸れることなく、落ち着いてしっかりした日本語で、受け答えをしているのは非常に好感が持てた。私は、その彼女の言葉を聞いていて、「きっと彼女は頭がいい子なんだろうなあ・・」と思った。

宮原選手、がんばれ!!

教師は安保反対と言え!??

2015年12月12日 | 日記
日本共産党中央委員会政策委員長(政策責任者)の小池晃が、18歳以上に選挙権年齢が引き下げられたことに伴う学校現場の主権者教育に関し、とてもまともな神経だとは思えない発言をしたようだ。以下、彼の「自論」とやらを今朝の産経新聞より抜粋。



「憲法を守ろうとか、安全保障法制は反対、問題ありますよねということを先生が言わなくっちゃあ、教育になんない」

さらに彼は、主権者教育での政治的中立性について「こういう問題で中立っていうのが果たしてあり得るのか。戦争はいけないということを先生が堂々と言わなければ教育にならない」と強調した。

また、「ちゃんと自分の考えを言う先生が一番好きだった」と自らの体験を振り返りながら、「規制をかけようとしていることは反教育だ」と述べた。

日本共産党の政策委員長という要職にある小池晃がこういう発言を平気な顔でするということを、国民は冷静に認識しておくべきだ。

やはり、この政党はとんでもない集団である。

国会周辺で大騒ぎしていたシールズとかいう学生さんたちは、この政党のコントロール下にある。

そして、日本共産党は、政策としてこういう学生集団をもっと大きく育てようと画策しているということがわかる。


感動の押売り無し、「海難1890」。

2015年12月12日 | 日記
いやぁ、予想以上にいい映画でした!

後半は、嗚咽を押さえるのに大変でした。映画は脚本が8割だと思いますが、その筋立てがいいので、感動を押売りせず、さわやかな感じで見終え、最後の最後のエンドロールの映像でも、「なるほど!」と感心させられる、にくい終わり方でした。



映画は、日本語、トルコ語、英語が飛び交います。配役も当然その辺りを考慮して決ったようですが、アメリカの映画に出ているからと、安直に臭い演技をする渡辺謙などを起用しなくてよかったとつくづく思った。

主演を演じた内野聖陽、忽那汐里の二人の好演はかなり高く評価されるだろう。内野と忽那の英語のセリフはさほど多くはなかったが、実に自然で演技臭くなかったのがいい。



強いてケチを付けるとすれば、竹中直人演ずる腹黒そうな医者のシーンはどうでもいい、むしろ無い方がよかったと思う。彼の演技はどうも好きになれないので、余計にそう感じたのかもしれない。

それに何よりも、後半のイラン国内の日本人がイラクの無差別攻撃が始るタイムリミットギリギリのところで、トルコ航空の航空機で脱出する場面は、「トルコ軍艦の海難事故の恩返しだから」というつながりを極力前面に出さない脚本が冴えていた。あそこでそれを強調すると、話は作り話臭くなりがちであった。

自分達を飛行機に乗せろと押しかけるトルコ人達が、大使館員のトルコ人青年の説得で翻意して、日本人を搭乗させるため通路をあけるところは、最も感動するシーンであり、演出が冴え渡っていた。

トルコの国民は、小さな頃から学校で、エルトゥールル号の遭難事故の時の串本・大島の島民達の話や、山田寅次郎がそのとき全国から集めた義捐金を持ってトルコに行き、ついでにトルコの士官学校で日本語や日本精神を教授した話などを習っていた。

トルコ国民はそれをみんな知っていたが上に、テヘラン脱出のとき飛行機を日本人に譲り、自分達は二日間かけて陸路バスで脱出したのだった。

映画はそこをグッと押さえた演出だったので、出来が良かったといえる。

出来れば、ぎりぎりでテヘランを脱出できた日本人215人を乗せたトルコ航空機が、無事イラン領空を脱出できたとき、飛行機の機長が機内放送で、「Welcome to Turkey!」と乗客に伝え、日本人乗客が歓声を上げるというシーンが欲しかった。

この救出劇の後、いったいなぜ日本人を救出してくれたのですかと聞かれた駐日トルコ大使は、あっさりと「いやぁ、大したことではないですよ。当然のことをしたまでです。」と応えたそうである。

それを、「いやそうではない。トルコは日本の経済援助が欲しかったのだろう。」という記事を書いたのが朝日新聞であった。

根性のひねくれた新聞社らしい記事ではないか。

我が国の近くには、「価値観を共有する両国」などともったいぶって言う超反日部族が多いが、アジア大陸の西の果てに、本当に価値観が共有できる国が存在することを、あらためてこの映画は教えてくれる。

靖国、トイレとくれば・・・予想通り。

2015年12月10日 | 日記
朝鮮半島贔屓の毎日新聞だが、今回の事件は、ありのままを報道せざるを得ないとみえるwww。

靖国神社(東京都千代田区)で爆発音が起き不審物が見つかった事件で、建造物侵入容疑で逮捕された全昶漢(チョン・チャンハン)容疑者(27)=韓国籍=は事件2日前の入国が初めての来日だったにもかかわらず、靖国神社周辺しか訪れていないとみられることが、捜査関係者への取材で分かった。滞在中、ホテル2軒に宿泊し、事件前日にも靖国神社を訪れており、警視庁公安部は靖国神社で騒ぎを起こすことを狙って来日し、下見をするなど周到に準備を進めていたとみている。(毎日新聞)



これまでも、神社に油を撒いて汚したり、放尿したり放火したり、やりたい放題に不届きなことをしてきた部族である。

今回の靖国神社のトイレ・テロの犯人は、だれもが簡単に予想できただろう。

しかし、これは笑い事では済まされない。「反日無罪」というより、でかいことをしでかせば、「反日英雄」となれるかもしれないお国柄である。今のように世界のあちこちでテロが頻発している時節柄、チョン・チャーハンのような輩は、いくらでも出てくるだろう。

単独犯であろうが、これからはより一層の警戒が必要である。何せチョン・チャーハンの同士みたいな連中は、日本名を名乗ったりして今も日本中にウジャウジャいる。

今回の事件で、日本の警察がどういう動きをするかを観るのが目的で、狙いはもっと他にあるのかもしれない。



在韓米国大使に刃物で血だらけに傷つけても、恬として恥じない部族である。

マスゴミや評論家は、危機感を持った報道・解説をして、国民の警戒感を刺激すべきであろう。

親日国関連のいい映画。

2015年12月07日 | 日記
トルコと合作であの事件を題材とした映画を作る話があったのは知っていたが、すでに出来上がっていて、先週末に封切りとなったとテレビのスポットCMを見て驚いた。



トルコとの合作映画といえば、当然トルコ軍艦エルトゥールル号の海難事故の映画だと思っていたが、ネットで予告編を観たら、その後にあったイランの日本人救出に手助けしてくれたトルコ航空機の話も連結した映画のようで驚いた。

『海難1890』は、今最も観たい映画だ。

6~7年前のことだと思うが、紀伊半島の瀞峡(どろきょう)と熊野古道などを巡るバスツアーに参加したとき、和歌山県の串本町の大島近くの海岸線を走っているときだった。

バスガイドさんが、1890年のトルコ軍艦の遭難事故と、その時の大島の島民たちが自分達の食べるもの・着る物を惜しまず提供して、遭難者のトルコ軍人たちを献身的に救助した話を感情を込めて上手に話してくれた。

そして、その95年後イラン・イラク戦争の真っ只中のイランから日本人達が脱出しようとしたとき、日本航空が飛行機を飛ばせないことが判明した。そのとき日本人を救出しようと飛来したのはトルコ航空の飛行機だったのだ。

トルコ人たちの救出は陸路バスを使い、215名の日本人全員を旅客機で無事救出し終えた。なぜ、トルコ政府はそこまでして・・・。

駐日トルコ大使の答えは、短く一言、「エルトゥールル号の借りを返しただけです。」だった。

そのときのバスツアーでは大島に立ち寄らなかったが、私はこのエピソードに大変感動していつか必ず串本町大島を訪れようと思ったのだった。

そして、それから2年後だったか、私は念願の大島に行くことが出来、島の灯台からエルトゥールル号が遭難した辺りを見ながら感慨に耽ることが出来た。


もう1本観たい映画がある。



それは、『湾生回家』という台湾のドキュメンタリー映画である。「湾生」とは台湾生まれの日本人のこと。「回家」とは、家に帰る、つまり生まれ故郷に帰るという意味だそうだ。

19世紀末、日本は日清戦争に勝利して台湾の統治権を得た。それから50年間日本は台湾を統治することになるのだが、その時代に台湾で生まれ育った日本人は、大東亜戦争で日本が敗れて、祖国日本に帰還させられることになった。

その日本人達「湾生」が年老いて尚、台湾に戻り昔暮らした故郷を訪れ、幼馴染の台湾人たちを探して再会を喜び合うという、ドキュメンタリー映画である。

この映画は、台湾で封切られるや大変な大ヒット作になり、特に多くの台湾の若者達が映画館に足を運んで、オイオイ泣きながら観たそうである。

昨年大ヒットした嘉義農林学校、略して『KANO』を上回る勢いだそうだ。

ネットで予告編を観たが、こちらもなかなか良さそうな映画であった。

今度台北に行ったとき、DVDを買ってこようかと思う。

また一つ楽しみが増えた。

忠臣蔵、名場面。

2015年12月06日 | 日記
師走に入り、今年も残すところあと4週間を切った。

あのバカバカしいハロウィン騒ぎが終わったと思ったら、今度は世間はクリスマス一色になる。

しかし、私が毎年、年の瀬を感ずるのはクリスマスでも紅白歌合戦でもなく、それは「赤穂浪士」である。「ああ、今年も12月14日がやってきたなあ、と感慨深くなるのである。

忠臣蔵の話には、討ち入りまでいろいろエピソードがあってテレビドラマや映画でも、扱うエピソードはまちまちである。私の好きなエピソードは、赤埴(あかばね)源蔵の「徳利の別れ」や岡野金右衛門の「絵図面取り」、そして「南部坂雪の別れ」である。



「徳利の別れ」は、討ち入りが決った赤埴源蔵が兄に別れを言いに来たのだが、あいにく留守であったため、義理の姉に兄の羽織を拝借したいと申し出て、その羽織を相手に一人で酒を酌み交わして、別れを惜しむという名場面だ。

「絵図面取り」は、吉良の屋敷の絵図面を手に入れようと、岡野金右衛門が屋敷の絵図面を持っている大工の棟梁の娘に近づき、色仕掛けで(本気だったのか・・)見事絵図面を手に入れる話。

そして、「南部坂雪の別れ」は、大石内蔵助が、野内匠頭の未亡人・瑤泉院(ようぜいいん)に最期の挨拶に向ったところ、下女の中に見慣れない顔の女がいることを察知した内蔵助は、吉良のスパイだと用心し、討ち入りなどまったく考えていないと嘘をつき、藩の資産使途の明細だと、巻紙を手渡して帰った。



瑤泉院は、内蔵助は情けない男だと落胆するのだが、その夜、巻紙が実は討ち入りの連判状であることが判り、内蔵助を非難したことを涙をながして悔やむのだった。

他にもたくさんの話があるが、私のナンバーワンは、「垣見五郎兵衛」との掛け合いである。

討ち入りの武具を携えた内蔵助一行は江戸を目指して箱根の宿まで来た。その頃、日野家用人の垣見五郎兵衛の一行が江戸に向っているという情報を得て、垣見五郎兵衛とその一行だと名乗って宿に泊まった。

運悪く、本物の日野家用人、垣見五郎兵衛一行が同じ宿に到着したので、宿屋の主人は困惑して、「すでに垣見様は到着なさっている・・」と本物に言ったので、本物の垣見は逆上してそいつに会わせろと言うのだった。

大石の部屋に入って、向かい合った二人は、お互いに自分が垣見五郎兵衛であると主張する。垣見は、「お主が本物の垣見五郎兵衛なら、関所の通行証を持っているであろう。それを拝見したい。」と申し出た。

すると、内蔵助は落ち着き払って、木箱から書状を取り出し頭を下げて垣見に差し出す。垣見はそれを受け取り、中身を確認すると真っ白で何も書かれていない。驚いて内蔵助の顔を見た垣見は、脇に置かれた行李の蓋に書かれた浅野の家紋である、丸に鷹の羽に目が留まった。

隣の部屋には、バレた場合は垣見を切り捨てようと、同行の赤穂浪士たちが刀に手を掛けて息を殺している。



垣見は、浅野の家紋からすべてを察し、「確かに通行証を拝見した。これで偽者は拙者の方だと言うことが明らかになった訳だ。お名前を騙りましたる段、ひらにご容赦を」と謝った上、「拙者が用意したニセの通行証は、どうか貴殿が処分してくだされ」と言って、本物の通行証を内蔵助に手渡すのだった。

内蔵助は本物の通行証を恭しく受け取り、深々と頭を下げた。

垣見五郎兵衛は、「御武運をお祈りしますぞ。」と心で呟いて部屋を出て宿を引き揚げるのだった。テレビだったか映画だったか忘れたが、内蔵助を里見幸太郎が演じ、垣見五郎兵衛を西田敏行が演じていたのが良かった。



困り果てた宿屋の主人が立ち去ろうとする本物の垣見五郎兵衛に向って、「あのぉ・・、一体どちらが本物の垣見様でございましょう・・。」と言うと、垣見は、「男前の方が本物に決っておろうが!」と言い放って立ち去るところが面白く記憶に残っている。

以前は、この時期になるとよくテレビで「忠臣蔵」を放送していたものだったが、昨今はなぜかさっぱりだ。忠臣蔵に対する愛着がなくなったとしたら、実に残念なことであると思う。

なっちゃんとカナちゃん姉妹が来た。

2015年12月06日 | 日記
土曜日、かかりつけの内科医院に持病の薬を調達に出かけて昼近くに帰宅すると、玄関にかわいいスニーカーが行儀よくそろえてあった。



なっちゃんが来ているな、と分かったが、そのかわいいスニーカーの横にもっと小さなスニーカーが脱いであった。そうか、妹のカナちゃんもスニーカーを履いて歩けるようになったんだな、とニンマリしてしまった。

カナちゃんのスニーカーは左右が逆に脱いであったが、この現象は私が小さな子供だった頃からよく見てきた。なぜ、子供は靴を左右逆に履きたがるのだろうか?

そんなことを思いながら、部屋の中に入った。

居間では、なっちゃんが、コタツで折り紙に夢中になっていた。その横でカナちゃんはお気に入りのJRの時刻表をパラパラ見ているのだった。

カナちゃんは、なぜか時刻表のハンドブックがお気に入りで、もうボロボロになってしまった。

なっちゃんは、風邪をひいたのか小さなマスクをしていて、乾いた咳をコホン、コホンとしながら、折り紙で手裏剣を折っているところだった。カミさんによると、夕べから咳が出始めたが幸い熱は平熱で、心配するほどではないようだ。

ママは今日所属のママさんバレーの試合とかで、夕方まで二人の面倒を見てくれといって、爺婆に依頼してきたそうだ。

昼食後、ガソリン補給と灯油を購入しに出かけるというと、「なっちゃんも行く・・」といって、私の軽自動車の助手席にチョコンと座った。パパの車と違ってその小ささが珍しいのか、車内をキョロキョロ見ながら何でも聞いてくる。

そのうち、「ああっ!おじいちゃん車の中でお菓子食べたでしょ。」と言い出した。確かに毎朝通勤時に私は買っておいた駄菓子をつまんでいる。

それにしても、なぜなっちゃんはそれが分かったのだろう、と思いながら足元に目を落とすと、「柿の種」が一粒クラッチペダルの下に転がっていた。

目ざといなあ・・と苦笑しながらガソリンスタンドに向った。

反日標語大賞だな・・ww

2015年12月06日 | 日記
今や反日左翼の年末恒例のお祭り行事となった感のある、「ユーキャン・流行語大賞」だが、相変わらず反日マスゴミのプロパガンダとして、先日はしゃいで報道されていた。



ベスト10と、その中から大賞2点が選考されたそうで、本当に流行したと言えるのかどうかはさて置いて、「政権批判の材料になる言葉はこんなのがありましたよ」というのが選考基準の一つにあることはますます顕著になっているようだ。

特に、今年は安保法案のデモに反日知識人と呼ばれるお歴々が、堂々と反日集団のデモに参加したりして、そこでおなじみになった顔が、このお祭り行事の選考委員になっていることが赤裸々になっているからである。



思い返せば、2014年の大賞は、「集団的自衛権」「ダメよ~、ダメダメ」であった。こういう選考をして、溜飲を下げている性悪な選考委員は、こんな連中である。

最初はインテリ漫画家としてクイズ番組に出始めたこの男。「日本人は、朝鮮人に、詫びて詫びて詫び倒す・・」べきだ、と言ったり、中国が侵略してきたら「降参してでも日本に住み続ける。」戦いたい連中は「やりたい人だけで勝手にやってください。」と言って見事な左翼ぶりを披瀝していた。





さらに、日曜朝の反日報道番組の常連である、ソフトな語り口というか暗くてベトベトした陰湿な話し方が特徴の、日本大嫌い在日教授も選考委員になっている。



そして選考委員長は、自称ジャーナリストというこの方。国会周辺のデモに加わって品性下劣なアジで盛んに煽っていました。



こういう方々が面白がって選んだのが、「一億総活躍社会」とか、「SEALDs」とか、「アベ政治を許さない」などで、大賞は「爆買い」と「トリプルスリー」となったようだ。

彼らの本音は、「アベ政治を許さない」と「SEALDs」あたりを大賞に選んで、反日勢力の援護射撃をしたいのだろうが、スポンサーのユーキャンとて、民間企業であるためにあまり身勝手なことが出来なくて、さぞ歯痒い気分でしょうな。

 こんなとこに選考委員長が??

来年は、選考委員に、毎日新聞の自称ジャーナリスト岸井成格とか、フェミニストお笑いタレントの田嶋陽子あたりを加えて、お花畑度をアップすることで、今まで以上の反日流行語大賞を選考できるのではないかと思うのだが・・・。

ユーキャン、あなたならできる!!

おフランスのお墨付きですもの・・

2015年12月05日 | 日記
おフランスのタイヤメーカーの発行するレストランの評価本、ミシュランガイドが初めて「ラーメン屋」に一つ星をつけて紹介したと、テレビでは大騒ぎして紹介していた。



この「おフランス」のレストランガイドブックについては、7月だったか、確か『ミシュランを蹴ったお店のガイドブック』というタイトルで、このブログのネタにしたことがあった。

あの時の心境は今も変わらない。ユネスコの世界遺産登録に対するバカ騒ぎと共に、私はこの手のはしゃぎ方を目にすると、「日本文化原理主義者」の血が騒いで仕方ない。

更に、私は「たかが、ラーメン」を公言してきた。ラーメン屋を手放しで崇める風潮には、徹底的に逆らってきた。



ラーメンは嫌いではないが、近所に開店するラーメン屋に出向き入り口のドアを開けると、どこもかしこも似たような雰囲気の店員が、似たような格好をして、判で押したように無意味な大声で「いらっしゃいませえええ!」とわめき立てるのだ。



そのラーメン屋の一つがミシュランの一つ星を与えらた途端、開店の何時間も前から雨の中行列を作っていると、報道していた。



もうここまで来ると、私の血圧は200くらいに跳ね上がるのだった。

かなり以前からミシュランの調査員が店に出入りしていたようだと、ニュースが伝えていたが、ミシュランからの格付けを断る店もかなりあると聞く。

ここは、日本のブリジストンか横浜タイヤあたりに、是非『ミシュランを断った店』というガイドブックを発行して欲しい。

本のサブタイトルは、『仏人ごときに日本の味が分かるか!』など、どうだろう。

私は、すぐ予約する。


たかが、英語じゃないか・・

2015年12月05日 | 英語関連

昨日、職場の他のグループから、午後電話会議をすることになったので、英語の通訳を頼みたいと依頼があった。

以前、そのグループの依頼で、報告書や資料の英訳は何度かしているし、先月に一度電話会議の通訳をしたのだが、その時の悪夢が瞬時に蘇ってきて、私は二の腕辺りに鳥肌が立つのを感じたのだった。

相手のやたら早口で平坦な喋り方をする訛りの強い英語は、一度聞いただけでは理解できず、何度も聞き直すうち、相手は流暢な日本語を話しだす始末。さらに、現地常駐の日本人マネージャーも加わって、それからはまったく私は出番なしの日本語の会議になったのだった。

そもそも会議の提案は先方から言い出したことだったようだが、私はそばで聞いていて、わざわざ時間を割いてこのような不便な状況で話し合いをする内容ではないのでは・・・と、怪訝な気分を抱いて見守った。

つまり、電子メールでのやり取りで十分な内容だと感じた。しかし、問題は先方の担当者が日本語を話すことは出来るのだが読み書きは出来ないため、送信されるメールはすべて英語。

さらに、こちらの担当者は英語がからっきしダメで、これまではコピーして貼りつけると英訳や和訳されるという一見便利な翻訳サイトを利用していたというのが実情だった。

そこで、何かというと私のところに来てはいろいろ頼むようになった。翻訳サイトを使うより正確で、他にもアドバイスが得られると思ったから便利に感じているようだった。

以前、彼がその翻訳サイトを利用して作成した報告書の一部を英訳してくれともって来た時、彼が英訳した部分をチラッと見たら「for May production minute」というのが目に留まった。

私は何のことか?と聞くと、「5月の生産分として」ということです、という返事。

「もしかして、翻訳サイトをつかったのかい?」と聞くと、コクンとうなづいた。

「生産分」の「分」をそのサイトの賢いソフトは、「minute」と訳していたのだった。

自分で少しは英訳しようという、その姿勢は評価したいのだが、こんな間違いも気付かずに満足な報告書などできるはずがない。そして、このレベルの報告書に、彼の上司2名はうやうやしく確認や承認のサインをして、先方に送ってきたのだった。

このレベルのビジネスマンが今でもウジャウジャいるわけだから、英語を社内公用語にすべきだ、社員はTOEICで800点取れ、とか言い出す経営者が出てくるわけだ。



我が職場は、英語を読み書きできなくても普段の業務の99%は問題なくこなしていけるだろう。しかし、世界中に何十箇所も工場や支店を持つグループの従業員であれば、英語に遭遇するその頻度は確実に増えているのは明らかだ。

そして、悲しいかな、業務に最も精通していて経験豊富な50代後半の管理職たちには、英語アレルギーとも言われるレベルの方たちがほとんどなのだ。

私は、30代、40代の中堅社員たちに、彼らを見習って欲しくはないと思っている。二言目には、「僕は英語がダメだから・・・」と言い出す上司達の二の舞になってはいけない。

私は依頼された翻訳・通訳は断わることなく引き受けるが、内心では「まず自分でやってみて、これでいいか見てくれ、と私の処に持ってくるという芸当はできないのか?それではいつまでたっても、英語アレルギーは消えないよ。」

いつも、こう言い出したくなる心境だ、と家人に打ち明けたら、彼女は「どこもそんなもんよ。そんなこと言うと煙たがられるだけだから言わないでよ。」と釘を刺したのだった。

「たかが英語」



私は英語、英語と煽り立てるこの経営者はあまり好きになれないが、「たかが英語」という思いには、強く共感できるのだ。

カタカナ語を軽々しく使うな。しゃらくさい!

2015年12月05日 | 英語関連
職場の長が、部員全員に緊急のミーティングを召集した。

何事かと思ったら、大きくなった会社組織の見直しに関する部長による講習だった。

パソコンをプロジェクターにつないで、ホワイトボードに画面を次々と映し、説明をするのだが、部長自身があまり良く理解していない様子で、二言目には、「このあたり、僕もよく理解していないので、後でまたよく見といてください。データの保管場所は後でメールでお知らせします。」と言っていた。

私のような老骨は、黙って見ているだけだったが、明らかに新組織の説明としては不十分で、部員はまったく理解できていないことは、彼らの表情を見れば一目瞭然であった。

部長は、上の役員から、大至急部員全員が新組織を理解するように講習会を大至急開き、それが終了したら講習参加者の署名と共に連絡せよ、と指示されたそうだ。

後で工場長がやってきて、部員が確かに理解しているかチェックするそうだ、とも言っていた。しかし、その割には説明がおろそかで、私は見ていて他の同僚たちが哀れであった。

そもそも新組織を図解した組織図のタイトルが「マトリックス体制」となっていて、ここの部員達の英語アレルギーの実態を知っている私には、「あちゃーっ、タイトルが理解できないだろうなあ・・」と最初から気が重くなった。



こんな風に単純化した図なら良かったのに、いきなりゴチャゴチャした図解が映されたので、全員スタートからチンプンカンプンだったようだ。

いわゆるピラミッド型の組織図には表せないほど、今の組織が複雑化して各部署が絡み合った動きになっているのは事実で、それを何とか単純化して各人が理解した上で仕事をしていかないと、無駄は大きくなる一方であるのは十分理解できる。



要するに、縦と横の行列図にして、その相関を分かりやすく組織したいらしい。

部長が上手く説明できないのは、その組織図に表示されている用語がカタカナ用語ばかりで、英語音痴の部長にはその意味が分からないためであろう。

ストラジーとかソルーションとか、エスカレーションプロセス、コア・ファンクション、キーファンクションなどなど・・・。

言葉を聞いてどういうことかサッとイメージできる人と出来ない人では、理解度に天と地の開きが出来ることは言うまでもない。これに加えて、私も閉口しているアルファベット3文字の略語がはびこっている。

「abbreviation」というサイトで3文字略語を調べることは可能だが、その種類は膨大で、更に困ったことに社内だけで使用される3文字略語が実に豊富だ。更に更に困ることは、そのアルファベットの意味することを社員に聞いても、彼らのほとんどはそれを説明できないのだ。

少し前、経営者は「ガバナンス」とか、「コンプライアンス」という言葉を多用して悦に入っていたものだ。コンプライアンス、コンプライアンスと連発しながら、平気で談合だとかデータ改ざんだとか悪いことをし続けている。

鎖国を解いて外国の学問・技術を輸入し始めたとき、それまでの日本にはなかった概念が怒涛の如く流れ込んできた。「翻訳語」といわれる言葉は、当時の知識人が苦労してそれまでになかった概念を漢字で表した新語である。

このあたりの話が興味深く書かれた本が手元にある。「翻訳語成立事情」という岩波新書で、柳父 章という評論家がもう30年以上前に著した本だ。

「society」「individual」「right」はそれぞれ「社会」「個人」「権利」という意味で、今や誰も知っている言葉だが、これを江戸時代の人に見せても、みんな首をかしげるだけである。なぜなら、そのような概念は当時の日本にはなかったからである。

福沢諭吉などは「right」という言葉を「通義」と訳し広めようとしたが、成果は上がらず、今では「権利」という翻訳語が人口に膾炙している。

このように、新しい概念を漢字で翻訳してそれが定着していけば、みな同一のイメージを持って理解できるのだが、何せ今はその余裕がない。したがって、ほとんどがカタカナにするだけで目から感じてイメージすることができない。

洋画のタイトルなどその典型であるが、これは単にその業界の怠慢かもしれない。

経営者や管理職たちは、社員に理解を求める前に、こういう外来語を多用することをつつしみ、まずその言葉の意味を噛み砕いて説明し理解させることが大切なのではないか。

「何か分からないことがあったら、遠慮せず聞いてください。」と最後に部長は言っていたが、聞けば教えてくれるのかどうか・・・それはそこにいた部員達が一番分かっていたようだ。