孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

『テレビで見た人』崇拝します。

2015年03月15日 | 日記
3局あるテレビのローカル局の、夕方のワイドショー番組を見ていると、どの局の番組にも、すでに賞味期限が切れた芸人さんがゲストやレポーターとして出演しているという不思議な共通点があることに気がつく。いわゆるお笑い芸人であったり、俳優であったりするのだが、なるほどこういうのが、「ドサまわり」と呼ばれる現象かと納得する。

言ってみれば、全国区というか、中央のテレビ局からはまったくお呼びがかからなくなった「タレントさん」「芸人さん」も、田舎のテレビ局ならば、まだまだ客扱いされるし、有り難がられる存在なのだ。実際、ワイドショーの進行係の人や、そのアシスタントというか、ホステスのような女性ほか番組の出演者たちは、世紀の大スターが登場したようなもてなし振りで番組が進行していく。

彼らは、偉そうに県内で起きた出来事について評論家よろしくコメントしたり、駅前の商店街で、街案内やお店紹介をそのテレビ局のキャピキャピした新人女性アナウンサーと一緒にやったりしている。

例え売れなくなった人でも、田舎町をテレビカメラを伴って歩けば、街行く人たちは、大騒ぎとなり買い物中のオバサンたちは、往年の大スターとであったような反応をするところが、滑稽だ。さらに面白いのは、その「大スター」たちの態度で、何とも偉そうで傍若無人なのが共通している。

打ち合わせ済みなのだろうが、夕方の買い物で混みあうスーパーに入って行き、店長に時間制限で特定商品を割り引く交渉をしたりする。店長も、「じゃあ、番組を見たと言う方だけに、今から30分に限りこの商品を3割引で・・・」などと口裏を合わせて番組とその「大スター」の顔を立てるのである。

街行く人の中には、「テレビに出ている人だ」と言って握手を求めたり、着ているTシャツにサインを求めたりする変わり者もいる。そういう人達にとっては、例え売れなくなったとはいえ、「テレビに出る人」と握手したとかサインをしてもらったということが、自慢の種になるのだろう。

田舎の国道沿いのラーメン屋に入ると、壁一面にサインの色紙が貼られていることがある。ラーメン屋の主人の自慢なのだろうが、「○○さん江、とてもおいしかったです。」と隅っこに小さく書かれ、中央に何百回と練習して覚えたであろう見事なサインが書かれた色紙が往年の売れっ子振りを彷彿とさせるのだが、「一体、何でこんな店に立ち寄ったのだろう?」という疑問を抱かせてくれ、それはそれで少しは時間つぶしにはなるものだ。

演歌歌手は、一曲でもヒット曲を持つことができれば、当分食いっぱぐれることはないそうだが、タレントさんについても似たようなことが言えるんだろうなあと、業界を垣間見たような気分になる。同時に、テレビに出るということは、それほど偉いことなんだろうかと少し首を傾げたくなるのも事実だ。


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