孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

外国人家政婦解禁だが・・・

2017年03月05日 | 社会観察
我が国のお役人や政治家たちは、観光政策だのカジノだのというと、すぐにシンガポールをお手本にしたがるようなところがあるような気がするが、どうだろう。英語化政策にもそんなところはあったのかもしれない。

何せ、政府に近づいて耳打ちする「有識者」という連中は、国の先行きよりも自分やパトロン集団の利益になりさえすればいいのだから、当然悪いことは隠して言わないものだろう。

シンガポールは面積が東京23区とほぼ同じだが、人口は東京都23区の総人口の6割弱。中華系、マレー系、インド系などの多宗教・多民族で構成され、「明るい北朝鮮」と揶揄されるように、一党独裁政権が支配する親中都市国歌である。

私は5年前に1年弱赴任したことがあるが、箱庭のような狭苦しいところに様々な民族がウジャウジャいる落ち着きの無い、無味乾燥の人工都市という印象しかない。2~3ヶ月目で飽きてしまい、嫌で嫌で楽しいことなどあまりなかった。

    フィリピン人たちで溢れる
シンガポール・オーチャード通り沿いにあるラッキープラザ

私がいたレンタルオフィスは、繁華街のオーチャード通り沿いの高島屋デパート入ったビルにあり、通りの反対側には、雑貨や家電やフードコートが集まったラッキープラザというビルがあった。

そこは、フィリピン人の出稼ぎ労働者の溜まり場となったビルで、いつも母国に送金するフィリピン人たちでごった返していて、タガログ語が飛び交っていた。

そのほとんどは、シンガポール人家庭に住み込み家政婦として働く女性だった。

ちょっと前、ネットのニュースで、東京都でもいよいよ外国人家政婦が解禁となったと報道されていた。曰く・・・

『東京都は2月23日、外国人による家事代行サービスを手掛ける6つの業者を認定した。国家戦略特区制度で外国人家政婦の参入が可能となり、3月以降に掃除や洗濯などのサービスの提供が始まる。』

『事業者は、ビザの条件が整ったフィリピンから、6社で計92人を受け入れる。3月以降順次、炊事、洗濯、子どもの世話といった代行サービスを提供する。』

小池都知事は、

『・・交付式で、「女性が活躍できないのは人口減少社会の中で非常にもったいない話だ。皆さまの協力で、東京を元気にしたい」と激励した・・・』そうだ。

日本の場合は、シンガポールのように住み込み家政婦というわけにはいかないだろうから通いの家政婦さんということになるのだろうが、この制度が日本人の一般家庭に定着するとは、私には到底考えられないのである。

     住み込みメイドの部屋
シンガポールには、3畳ほどのメイド部屋があるのが一般的だ


もし外国人家政婦が順調に増えていくとしても、それに伴う様々な問題が新たに発生してくることだろう。もしかしたら、血なまぐさい事件なども起きるかもしれない。

私がフィリピンに赴任していた時は、工場長の判断で日本人はそれぞれ個別の一軒家に住み、洗濯・掃除を一人の家政婦が通いで担当していた。しかもその家政婦は、工場従業員幹部の親戚に当たる中年女性だった。

住み込みもそうだが、見ず知らずの家政婦を雇うのは危険だ、というのが工場長の判断だった。実際、私が赴任中にも、メイドがらみの事件は、大小頻発していた。

日本人が定期休暇で日本に帰る。許可を得て、その間メイドも故郷に帰省する。日本人が予定通りフィリピンに戻ってきて、部屋に入った時クロゼットの中から男が飛び出してきて、背中を一突きして殺し、金品を奪って逃走する。

メイドは不在で、アリバイがある。しかし、犯人が捕まり取り調べた結果、男はメイドの知り合いで、メイドが手ほどきをしていたことが発覚したのだった。日本から戻ってきたばかりで、現金を持っている確率が高い。メイドは帰省中というアリバイを作りやすい。

こういうパターンの事件は大して珍しくは無く、工場長も我々に注意するよう話してくれたものだった。

シンガポールでは、雇う側と外国人家政婦側とのトラブルを避けるため、雇う側には事前の研修を義務付け、ノウハウの講習を受けさせている。

また、家政婦側には半年ごとの健康診断と、妊娠検査を雇用者の負担で受診させ、もし妊娠が発覚した場合は労働ビザを取り上げ、強制帰国させている。

フィリピン人はほとんどがカソリック信者で、避妊具を使わないため、変なことがあればすぐにすぐに妊娠して発覚することを踏まえたシンガポール政府の考えなのであろう。

シンガポールの歴史をみると、戦前マレー半島を植民地支配していた英国人のために、現地人を使ったり、現地人たちに阿片を売ったりしていた華僑たちで成り立つシンガポールは、家政婦のような使用人を扱うのに長けている。

一方日本人には、そういう歴史や習慣はない。

日本の工場が東南アジアに進出して多くの出向者が赴任すると、大抵一軒に数人の日本人が共同生活することになる。掃除や洗濯、食事作りはメイドを雇うわけだが、日本人はすぐにメイドを友達のように扱い、お土産や小遣いを与えたりするものだ。

メイドはそれを勘違いして、その結果、アレが無くなったこれが見当たらなくなった、昼間部屋に男を引き込んでいた、などのトラブルを引き起こす結果となる。

私は、こういう状況を何度も目にしたり耳にしたりしたものだ。

おそらく、東京都で外国人家政婦が解禁になったといっても、最初は東京在住の外国人ビジネスマン家庭などが雇用者になるのだろう。

     奴隷派遣P社の会長T氏

それだけでは派遣側に旨みはない。きっとPのつく派遣会社の会長T氏などは、ほくそ笑みながら今頃ソロバンをはじいていることだろう。


一日のスイッチ・オンはクラシックで

2017年03月05日 | 英語関連
車のCDプレーヤーの調子が悪かったので、それ以来朝の通勤中は地元のFMラジオをつけて、DJの馬鹿話を聞き流していたのだが、先週暫くぶりにCDプレーヤーを試してみたら調子がよかった。

早速、通勤時に聴く音楽でもCDに焼いてみようかと、家電ショップに行き、録音用CDを買ってきた。

さて、どの曲を録音しようかと考えた結果、眠気を飛ばして職場に着いたら、すぐに仕事に集中できる精神状態にする曲を録音することにした。

一曲目は、モーツァルトの「セレナード13番」、アイネ クライネ ナハトマジークである。ひとつの(アイネ)小さな(クライネ)夜の音楽(ナハトマジーク)は、もう出だしを聴けば誰でも一度はどこかで聴いた事がある、なじみの曲だ。

   愛ね、暗いね、夜の(ナハト)音楽(ムジーク)

まずは、この曲で快く家を出発する。眠っていた脳が気持ちよく目を覚まし、体が弾むようなメロディーに合わせて軽くなっていくようだ。

ハンドルを握る手もかすかに拍子を取るようになってくる。

二曲目は、フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーの「アルルの女」である。一曲目で心地よく目が覚めた私の脳は、二曲目のこの曲の出だしで次第に戦闘態勢に移っていくのだ。この曲はタイトルこそ長いこと気に掛けなかったが、中学の音楽の時に聴いて以来、ずうっと好きだったメロディーだった。

  ビゼーといえばアルルの女にカルメン

本来、アルルの女の物語は、悲しい話なのだが、この曲調は活気があってアドレナリンを分泌させるスイッチを押す役目を果たしてくれる。


そして、最後はクラシック音楽で私の中のベストワン、ドヴォルザークの「交響曲第9番『新世界より』第3楽章

以前、仕事中にカーラジオから流れてきたこの曲で、そのときモヤモヤしていた気分が一気に吹っ飛んで、頭が急にスッキリした事があった。曲が終わって、曲名が紹介されたので、私は車を一旦停止させてメモをして、すぐにCDショップでCDを購入したのだった。

あれ以来、私は何十回この曲を聴いただろうか。体中にアドレナリンが分泌され、やる気に満ち満ちた戦闘モードに切り替わる。

  チェコの作曲家、ドヴォジャーク

以前の勤め先では、鋳物半製品をチェコから輸入していて、先方の担当者とメールでのやり取りを随分やったものだ。一度彼らが訪れたことがあった。嬉しかったのは、そのとき、窓口だった私だけにチェコのお土産をくれたことだった。

高さ5cmくらいのボヘミアンガラスの小物で、今でも我家の食卓に爪楊枝入れとして鎮座している。以来、是非一度チェコを訪れてみたいと思っているのだが、如何せんチェコは遠い。諦めたわけではないので、死ぬまでには一度でいいから、プラハの街を見てみたい。

チェコとの取引は不良が多かったために、打ち切りとなりその後支那製の鋳物に切り替わったので、今ではまったく取引はないようだ。

チェコ人は世界一ビールを飲むようで、その理由はビールに欠かせない良質のホップが採れるからのようだ。聞くところでは、日本で使われるホップの約8割がチェコから輸入されているそうだ。

外国人にも人気のある日本のビールの味は、チェコのホップ無しでは作り出せないということらしい。

『新世界より』と聞くと、「遠き山に日は落ちて」のゆったりしたメロディーが有名だが、あれは第2楽章だ。

第3楽章は、私を毎朝戦闘モードにスイッチ・オンしてくれる魔法のクラシックなのである。