孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

人に人柄、国に国柄

2017年03月19日 | 社会観察
ほんの1年弱だが私はシンガポールに赴任していた経験がある。

先進的な多文化共生国家だということで、さぞかし異国情緒が味わえるだろう位の、チャランポランな期待を持って乗り込んだのだが、ひとことで言うと、予想以上の緊張感を強いられる、モザイク模様のような箱庭小国だというのが私の抱いた印象だった。

IR(統合型リゾート)や観光政策、外国人労働者を考える時、いつもシンガポールのことが参考にされるようで、そのたびにまるで上手くいっているお手本のように扱われているとしたら、私はとても賛成できない。

むしろ、反面教師としてもう少し実情を、特に影の部分を注視して参考にした方が良いと思うのである。

シンガポールは人口600万人弱、小豆島程度のひし形をした島で、マレー半島の先っぽに位置している。75%が支那系、14%がマレー系、9%がインド系、その他様々な民族から成り立つ都市国家である。

一人当たりの国民所得は世界3位。学力レベルは東南アジアでもトップクラスということでよく話題になる、金儲けに熱心なガリ勉国家といった感じの小国だが、土台になっているのは何をするにも競争という観念で、そのため国民にはかなりの緊張感が漂っているようだ。

日本は、東京五輪を控えて労働人口比率が下がっていき、建設労働者が足らなくなると騒がれた。実情はあまり詳しく知らないが、恐らくその関係業者が着々と外国人労働者を手当てして、現場に送り込むことになるだろう。

  肌の色が異なるので分かる

私がシンガポールにいた時も、多分インド、バングラデシュ、スリランカなどから来ている作業者たちが、トラックの荷台に乗って工事現場に向かうのをよく目にしたものだった。

女性の社会進出を助けているメイドは、フィリピンとインドネシア人がほとんどで、人口比率から見ても、工事現場作業者やメイドなどは、それ専門の外国人たちに任せられているようで、完璧に棲み分けが成されていると感じた。

以前、ブログにも書いたが、オーチャード通りのラッキープラザというビルは、リトル・マニラとも呼べるほど、フィリピン人たちで溢れかえっている。

日曜日はメイドさんたちも休みなので、そこに集まってきて、通路でピクニック気分で食事したり、おしゃべりに興じたりしている。

東京の大久保はちょっと前はコリアンタウンと呼ばれていたが、今では、急増しているネパール人が集まる「リトル・カトマンズ」二変貌しているそうだ。

シンガポールではまったく珍しくなかったイスラム教徒の女性たちだが、地方の街でも近頃その手の女性たちが自転車で通勤しているのを見たりすることがある。

  あの格好、夏は暑そうだ

今の我が国の法律では、外国人が日本に来てとりあえず難民申請すれば、別に難民認定されずとも、申請した時点で滞在が可能になり、就労さえ可能になるという。申請するだけでいいのである。

他にも、様々な入り口があって外国人労働者は増え続けているようだ。増えてくると不満を口にするようになる。その不満を増長して煽ろうとする、人権派左翼集団が我が国には存在する。

  着々とEUの轍を踏む

大手の工場が安い労働力を求めて雇い始めれば、その下請けの中堅工場、中小企業も同じ事をする。

かくして、日本の大手工場のある地方都市には、外国人労働者が次々に増殖して行き、地域社会に入り込んでいる。彼らはやがてカップルとなり、子供を産んだり、母国から呼び寄せたりする。

その子供たちの教育の心配も新たな悩みの種となり、私の住む街の近くの町などでも、小学校に入学してくる外国人たちへの対応で苦慮していると聞いた。

グローバル化に伴う多文化共生社会の実現などと、街の広報などで呼びかけられても、問題はかなり複雑で、理想を語っている時期ではなくなっている。

人に人柄があるように、国には国柄があるという。同様に、我が国の地方都市にはその大小に関わらず「町柄」というものが存在する。

地域社会は昔と比べて大きく変化しているが、それでも何とか町柄を保とうという努力は常になされていて、最低限の国体ならぬ、「町体」は維持されている。

多文化共生とはどういうものか、日本人はこれまで経験がない。しかし、河の向こうでは、その弊害がどういうものなのか、何が進行中なのかを見ることができる。

現政権は、今進行中の外国人労働者の増加対策は『移民政策』ではないと否定するが、外国人が増え続けている現実への直視と、近未来への対策は、我々一人一人が真剣に考える必要がある。



呑気な「銃後の守り」

2017年03月19日 | 社会観察
独立総合研究所の青山繁晴は、今や参議院議員となって、相変わらず大活躍されている。彼の言説は非常に分かりやすく、共感することが多いので以前から動画を拝聴してきた。

その青山氏が以前彼の動画の中で、今渦中の人となっている安倍総理夫人のことを話していたことがあった。

それは、まだ青山氏が共同通信社の政治部記者だった頃、当時の安倍議員を自宅に訪問したときの話だった。

その時の安倍さんの自宅の居間には、暖炉があってその両サイドに大きなスピーカーがデンと鎮座していたそうだ。

居間で安倍議員と話をしていると、ご夫人が居間にやってきたので、「ああ、奥さんがいらしたのか・・」と青山氏は思ったそうだ。居間に通されてから、お茶も水も出されなかったので、てっきりみんな外出していて安倍さんだけかと思ったようだ。

  お嬢様育ちなんで・・

ご夫人は、二人が話を続けているその居間で、レコードをかけてクラシックの一曲を大きなボリュームで最後まで聴き終わり、何事も無かったように居間を去っていったそうだ。

青山氏はもともと地声が大きいので、安倍さんは彼のお話は聞けただろうが、安倍さんは声を張り上げて話すタイプではないので、青山氏は安倍さんが何を話しているか聞き取れなかった。

安倍さんは、奥さんに飲み物を出してくれとか、少しボリュームを下げてくれないか、などとは言わなかったが、「ああ、そういう家庭なんだな・・」と青山氏はただ納得しただけだったようだ。

この話は、いま野党が大はしゃぎで騒ぎまくっている問題が出るより、随分前の動画の中で青山氏が語っていたことなので、青山氏は安倍夫人の批判のためとか、暴露話としていたわけではない。

彼女のお嬢さんぶり、純粋無垢さを示すエピソードとして、何かのついでに飄々と話していたと思う。

私は、安倍さんが小泉首相と北朝鮮に乗り込んだとき、小泉を後押しした気概ぶりを高く買っていたのだが、その後チョコチョコ雑誌や週刊誌に顔を出す、彼のご夫人には一抹の不安を禁じえなかったものだ。

今回の騒動が起きた時は、「とうとう起きたか・・・」と感じたのが私の反応であった。