孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ネパール人の体臭

2017年03月04日 | 社会観察
職場にネパール人が配属される、と聞いて私は勝手にネパールといえばエベレスト。エベレストといえばシェルパ、というイメージ展開で、登山家を助けるシェルパ族のような顔かたちの青年がやってくるものと思っていた。

   シェルパ族の青年の顔

少数民族のシェルパ族は、モンゴロイドに属する人種で、見た目は我々と同じ顔つきだということは知っていた。

しかし、先月中旬にやってきたネパール人は、予想と異なりシンガポールのヒンドゥー教寺院でよく見たインド人そのものだった。色黒でヒゲをはやし、身長は190cmくらいあるかもしれない大男だ。

彼がどういうスキルを持つ青年でこれから何を担当するのか、事前情報はまったく無いのだが、何でもシンガポールと英国に留学したそうで、英語も日本語も読み書き話すに不自由しないそうだ。年齢は、当てずっぽうだが40歳前後ではなかろうか。

   こんな感じのネパール人

初日の朝礼で自己紹介したのだが、体格に似合わず蚊の鳴くような小さな声で話すので、内容はほとんど聞き取れなかった。

新人に対するオリエンテーションを終えて、業務が始った。どうやらソフトウェアに長けた方のようで、いわゆるシステムエンジニアのようだ。

彼の席は私の左斜め前で、彼の面倒見となった日本人社員とは流暢な日本語で会話しているようだ。おかしなことに、ネパール人の話すのは100%日本語なのに、日本人社員の方はまるでルー大柴みたいに、変てこな英語を交えて話している。

何か質問された日本人社員は、「オー、イエス、イエス、それで良いよ。バット、分らないことがあったら、遠慮しないでテルミーだよ。」「ハイ、ワカリマシタ。」な~んてやっているので、私は自分の唇を噛んで笑いを堪えている。

しかし、すぐに困ったことが判明した。

問題とは彼の体臭であった。彼が自分のデスクに座ってパソコンの設定などをし始めた時はそれほど気にならなかったが、翌日から漂ってくる独特の臭いの発生源は、間違いなく彼の体臭だった。

それは、私がシンガポールにいた時行った、ヒンドゥー教寺院で嗅いだあの独特な臭いと同じだった。総務の女子事務員などが時々やってきては、何やら彼に説明していたが、きっとその強烈な体臭に驚いたことだろう。

ネットで調べてみると、ネパール人は風呂に毎日入らず、週に一度くらいだとあった。鼻が曲がりそうになるような不快で不衛生な臭いではないのだが、香水のような臭いではなく、体臭だと分る独特な臭いである。

そのうち慣れるかと今のところ我慢しているが、決していい気分にはなれないでいる。

ネットでネパール人のことをいろいろ検索してみると、今やすごい勢いでネパール人が日本に入っているようで、以前韓流のときコリアンタウンとして有名になった東京の新大久保は、今やネパール人が急増したためにリトルカトマンズと呼ばれているそうだ。

急増した理由は定かではない。

先日、朝礼で順番に短いスピーチを披露するのだが、その順番が彼に廻ってきた。何を話すかと興味深かったが、彼の話したのは実にあっ気ない話だった。曰く・・・

「私が日本語学校に入学した時、授業が終わってから先生が、みんなで教室の掃除をしてください、と言いました。ネパールの学校は勉強するところですので、生徒は掃除などしません。日本は、すごいなあと思いました。」

テレビなどでは、外国人が日本の文化や習慣を褒めちぎる番組が目白押しなので、この手の日本文化賛美は聞き飽きている。

しかし、このネパール人は決しておべんちゃらを言ったのではなく、実際に掃除などしたことはなかったのではないかと私は思った。その理由は、ネパールには今でもカースト制というインドにあるような身分階級制が存在するからだ。

彼は、シンガポールや英国に留学できるような身分の家庭に育ったようであるから、掃除などはやった事などなかったのだろう。

何でも彼らからみると、ネパールにやってくる欧米人を初めとする日本人なども含めた外国人ですら、身分階級はずっと低いと見なすものらしい。

そう知ってからは、就業時間が終わると、無言でスッと帰ってしまう彼の行動も、きっとそのあたりに由来しているのかなあ、と考えてしまうのだった。


ぶよぶよのお顔が・・・

2017年03月04日 | 英語関連
地上波のテレビ報道される政治ネタと、ネットで伝わるタイムリーな動画を見比べていると、そのトーンの違いがはっきりと分かって面白い。

今の地上波テレビはどの局を観ても、ほとんどがアメリカのトランプ大統領をこき下ろそうという魂胆が露骨で、とても中立な報道をしているとは思えない。

確か高山正之氏だったと思うが、氏が以前テレビでコメンテーターをしていた時、番組に先立って開かれる出演者たちの打ち合わせでは、決って朝日新聞の記事を基にした論調に追随していたそうだ。

従って、司会者がコメンテーターにコメントを求めるタイミングやその言葉の抑揚、表情など、それに応ずるコメンテーターの表情や回答なども、自ずから朝日新聞の思惑を忖度したものになってくるそうだ。

     電波芸者たち

この話を聞いてから、テレビを観ていると、なるほどこいつら、反日マスコミに飼われた犬度もなんだなあ、とよく分ってそれなりに面白いものだ。 

        

      電波芸者たち

中には、得体の知れないホステスあがりの女性だの、売れなくなった女優だの、何が専門なのか分らない元教員の女性などが、反日新聞社のご意向に沿うようにテキトーなコメントを言って、小遣い稼ぎをしているわけだ。

番組をみている世のおじさん、おばさんたちは、何か偉そうに扱われて、別席に鎮座しているコメンテーターや自称ジャーナリストの言う事を、何の疑いもなく鵜呑みにして、憤慨したり、納得したりする。


今、国会では連日野党議員の馬鹿げた質問や、テレビカメラを意識したヒステリックな質問などが続いていて、中にはあまりにも下らない野党の質問者に自民党の大臣たちが腹を抱えて大笑いしている場面が動画としてアップされているので、面白い。

  このぶよぶよ感は、気味悪い

この方も、一時は総理大臣を担ったわけだが、今はすっかり落ち目街道を突き進む政党のナンバー2として、起死回生を策謀しているようだが、このアップの画像からもわかるように、まったく張りの無いたるんだ顔がそのやる気を疑わせるに充分だ。

野田氏はインタビューに答えて、「支持率が落ちた理由はわからない。」「いまの代表を総理にするような戦い方じゃないと、選挙は勝てませんよ。」などと言っていたそうだが、もう呆れて反論する気にもならない。

この政党がご贔屓にしている南朝鮮も目下国家の存亡の危機にあっているようだが、それに歩調を併せる様に、この政党の将来は絶望的だ。

競い合い励まし合って互いをみがく様を「切磋琢磨」というそうだが、現政権にとってはこのぶよぶよ顔の政党は切磋琢磨する対象としては、程遠いレベルの集団でしかない。これは日本の将来にとっても、危機的状況であろう。

バンカラが好きだった当時

2017年03月04日 | 社会観察
かまやつひろし他界の訃報を聞くのとほぼ同時に、自分の学生時代の頃の情景が走馬灯のように脳裏を巡った。

作詞作曲は確か吉田拓郎だったと思うが、「我が良き友よ」は私の好きな歌ベスト10に入るほどで、歌のリズムと共に何といってもその出だしの歌詞がいい。

♪下駄を鳴らして 奴が来るぅ~
 腰に手ぬぐい ぶら下げて~♪

  代表作の一曲でした

私の高校では、入学した当時に、学生運動で使われたのか、独特のレタリングで書かれた立て看板が、無造作に校舎の隅のほうに置かれていたりしたのを記憶している。

そういう社会事情の反動だったのか、当時私の通った高校でも、いわゆる『軟派色』が強く出始めていたようで、授業の合間や帰宅時などに男女のカップルたちが、イチャイチャした雰囲気で行き交う光景が珍しくなかった。

私は当時そういう空気が嫌で、異性に興味がなかったわけではないが、髪は伸ばし放題にしてわざと不潔を装っていたフシがあった。

大学に入学しても、社会の軟派な風潮は変わらず、当時は上村一夫の『同棲時代』という漫画が人気を得ていて、それに触発されたように、『神田川』というフォークソングがヒットしたと記憶する。

かぐや姫というグループが歌った歌は、その歌詞が当時の風潮を如実に表していた。

♪赤い手ぬぐい まふらーにして
 二人で行った 横丁の風呂屋・・・
 
・・三畳一間の 小さな下宿 あなたは 私の指先見つめ 
  悲しいかいって 聞いたのよ・・・
・・若かったあの頃 何も怖くなかった 
  ただ あなたの やさしさが 怖かった・・・♪

男がまともな顔で歌える歌ではないと思うのだが、当時の若者たちは自分でギターを弾いて、合唱したものだった。

この歌のヒットに味をしめたのか、亜流の歌が続いた。『赤ちょうちん』がそれだ。

♪あの頃二人のアパートは 裸電球まぶしくて
 貨物列車が 通ると揺れた・・二人に似合いの部屋でした・・♪

今みると、ペッと唾を吐きかけたくなるような軟派な歌詞だが、これも当時の若者たちは目をうっとりさせて聴いたものだった。

大学の3年くらいになると、先輩のだれそれは彼女と同棲を始めたとか、何学部のだれそれはどこどこの看護学生と同棲しているなどという噂が飛び交い始めたが、そんな風潮のときに発表されたのが、『我が良き友よ』で、私は一気に好きになったのだった。

実際、当時私はよく下駄を好んで履いていた。学生服こそ着なかったが、小奇麗なブレザーを着て通学する自宅通学の学生たちを、軟派だと仲間同士で小馬鹿にしていたものだった。

かまやつひろしは、スパイダースというグループサウンズの一員だったが、その存在は当時から異色で、あの髪型は明らかにカツラで彼はつるっぱげだろうというのが定評だったように記憶している。

仲間たちからも、「今日のムッシュは、帽子が好くお似合いで・・・」などとからかわれていたようだ。

  独特なヘアスタイルは・・

年齢が他のメンバーたちより多かったので、彼の存在感はキャンキャン吼えない大型犬のような落ち着きがあった。

しかし、当時の私は噂を真に受けて、彼を見るたびにきっと耳あて付きのニット帽子のような感覚で、ハゲを隠しているのだろうと信じていた。

 こんな感じのカツラ??

多分、今70歳前後になる団塊の世代の方たちは、彼の訃報を悲しく聞いて、自分たちに迫りつつある死期を強く感じたことだろう。

私はというと、彼の訃報で蘇った当時の軟派だった風潮を反射的に思い出して、何だか胃液が逆流したような不快感を覚えたに過ぎなかった。