孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

世間に溢れる、「安全だが安心できない」ものたち

2017年03月21日 | 社会観察
築地市場は見たことが無いが、その老朽化はかなり酷い状態で、その上いつ事故が起きても不思議ではないくらいの混雑振りだという。

さらに少し前、あの近辺にはGHQが造ったクリーニング工場があって、当時はそこでドライクリーニングに使用する有機溶剤(ソルベント)が大量に使用されていたので、土壌はかなり汚染されているのではないか、と報道されていた。

こんなことは、以前から市場関係者は皆知っているそうで、ただ風評被害を恐れて口にしないだけであったようだ。

アメリカのビキニ環礁の水爆実験で被爆した、焼津の漁船第五福竜丸が持ち帰った「原爆マグロ」や「原爆サメ」がどこかに埋められていることも、みんな知っているとネットに出ていたが、それもこれも小池都知事に言わせると、アスファルトとコンクリで地面が覆われているから大丈夫だということらしい。

豊洲は、安全だが安心ではない、と都知事は言うが、この世はそういうもので溢れかえっているのではないか。

今まで、つい立ち寄ると買っていたコンビニのチキンは、そのほとんどが支那産のチキンを使用しているそうだ。私は、そのことを知ってから、チキンから手を引いた。もう絶対に買わないと決めた。

  この際、縁を切った

検査をしたから大丈夫だというに決っているだろうが、支那人たちがまともに鶏を育てているわけが無い。いくら美味しくても、安心して食べる気がしないのだ。

我家は、浜岡原発から40キロほどのところにある。福島のような事故が起きればどこかに避難しろということになるだろう。私個人は、再稼動には特に反対しないので、中部電力の管理能力を信頼するだけだ。心配しはじめたら、キリがないのでしないことにした。

   高い壁を建設した

このブログを始めて2年以上になるが、始めた頃から私は高齢者の運転する車がコンビニに突っ込んだり、駐車場に止めた車が急発進して地上に落下したりする事故を心配して、ブログネタにもしてきた。

メーカーは自動運転など考えるより、こちらの対策を何とかすべきではないかと、心配した通りの成り行きで、内心私は「そら見た事か」と感じていた。

  今後も減らないだろう

私は、今でもなぜ自動運転車の開発をそれほど急ぐのか理解できないでいる。どんなに安全を追求しても、車を構成する何万点という部品すべてに不良品が使われないという保証はない。

1台に何百個も使われる半導体は不良率がppmという単位で表される。不良率1ppmとは、100万個作ると1個の不良品が混じるという意味だ。トヨタ自動車だけで年間800万台弱販売する昨今だ。これを安心レベルというのか否か。

AIという人工知能が人間を凌駕するのはもうすぐで、IoTとは身の回りの物がインターネットでつながることで、益々便利になっていくそうだ。

水田の水管理もインターネットで便利になるそうだが、それで作られた米はより安くて美味しいものになるのかどうだか・・・。

  Internet of Things

昔も今も、世の中が安全で安心して暮らせたことなど無かった。事故や事件は毎日どこかで起きるし、何よりこの国は台風や地震などの怖い自然災害が避けられない運命にある。

科学技術に待ったを掛けようとしても、それは無理だろうしすべきではないだろう。便利さが増せば、故障や事故はますます複雑になっていき、その解析は困難になる。

安全だが安心ではない、などと躊躇するくらいなら、最初から大騒ぎしなければ良かったのではないかと、チャチャをいれたくなる。


習の従軍慰安婦?!(ネット上の話)

2017年03月21日 | 外国ネタ
支那の習と北の刈上げ豚の末路がどうなるか、お楽しみだが、それよりも一歩先にまず半島の女酋長が、第一線から消えた。

スタートは、日本に対する怨念を世界中に拡散して、見ているこちらをドン引きさせてくれたが、意外と呆気なかった。

  寄り添って歩く二人

あくまでもネット上では・・と前置きした上で、「彼女は習近ペーの従軍慰安婦って呼ばれてるんですよぉ。」と、とある評論家が言っていたのが可笑しかった。

そう言われれば、お二人の仲のいいところを見せ付けるショットが今でもたくさん残っている。

  習の慰安婦?(笑)

しかし、今南朝鮮は支那から見放されて、酷い仕打ちを受けているようだ。アメとムチを使い分ける支那人が、今は狂ったようにムチを振り回している。

この女酋長もただの民間人になったのだが、この先何を楽しみに生きてゆくのか。まったく、学習という言葉を持たない部族は、何百回でも同じ間違いをするものだ、と呆れ果てる。