まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

芍薬は明日の見えぬ背の高さ

2020年05月06日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夕方にかけては、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は17.5度から21.6度、湿度は88%から72%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の7日の香川県は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 107/66/78 36.4c-96% 62.4Kg 体調に変化は無い。

 

 今朝の朝餉である。いつもと変わりは無い。変わりが無いと言うことが特別なのだ。

 

 今日のお絵かきは「おそ松くん」だが、実におそまつな絵になった。なかなかに思うような線が描けないのだから仕方が無い。

 

 さて、昨日に届いた、充電式ブロアーである。つまりは「送風機」で、左の黒いパイプからは強い風が出て、ゴミや落ち葉を吹き飛ばすことになっている。また、その黒いノズルを、中央の穴に付け替えて、上の黒い袋をノズルのあった場所に付けると掃除機にもなる。

 

 で、玄関先で試験運転をしたらば、風が弱いと落ち葉は動かない。強くすると、風の反射で落ち葉が私の方へ舞い上がってくる。どうにも風の動きがつかめない。

 

 こうした芝生広場では、落ち葉が芝にしがみついて動こうとはしない。やはり、パワーが足りなかったのか。

 

 こういうエンジン式のブロアーだったら、落ち葉掃除もできるのだろうが、ガソリンエンジンは使えない。充電式のものもいろいろと検討したが、やはり、数万円は出さないと使えそうにはない。

 

 そこで、やはり、芝生広場のお掃除は手でやるしかなさそうだ。だが、毎日、これというお仕事もないのだから、ぼちぼちと丹念にやるしかない。

 

 秋から冬、そして春先は、こうした落ち葉が我が家には降り注ぐ。そこで、重い腰を上げて、少しずつ、少しずつ、ガンジキ(熊手)で落ち葉を集めては捨てた。

 

 二時間ほどで、芝生広場はさっぱりとした。

 

 こうした、ウッドデッキの上は、ブロアーで落ち葉を吹き飛ばしておいた。周りが山だから、どこに落ち葉を捨てようと文句は出ない。

 

 こうした庭木などからも落ち葉が降ってくる。

 

 今日の掲示板はこれ。「人のわろきことは、よくよくみゆるなり。わが身のわろきことは、おぼえざるものなり」。『蓮如上人御一代記聞書』に収められている言葉である。「人のわろき事は、能く能くみゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。わがみにしられてわろきことあらば、能く能くわろければこそ、身にしられ候うと思いて、心中を改むべし。ただ、人の云う事をば、よく信用すべし。わがわろき事は、おぼえざるものなる」由、仰せられ候う。 (現代語訳) 他の人の悪いところはよく目につくが、自分の悪いことは気づかないものである。もし自分で悪いと気づくようなら、それはよほど悪いことだから、自分でも気がついたのだと思って、心をあらためなければならない。人が教えてくれることに耳を傾け、素直に聞き入れなければならない。自分自身の悪いところはなかなかわからないものである」と、蓮如上人は仰せになられたのである。「他者の悪いところはよく目に付くが、自分の悪いことは気づかない」と蓮如上人は語られている。この言葉のとおり、私たちの眼は常に外に向いていて、それぞれが評論家のように、自分の目の前の出来事や人物に対して、様々に評価を下しているもの。しかし、私の眼球が外は見えても、私自身を見るときには鏡が必要であるように、自分自身のことはなかなか問題にできないのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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