まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

冬日和 言葉一つも 出ぬままに

2019年12月15日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7.5度から10.5度、湿度は74%から61%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷の接近で夜は曇る見込みらしい。

 

 119/79/60 36.4c-97% 77.5Kg 1012hPa,24c,74% 昨夜の風呂場の鏡を見て驚いたのと、今朝の体重計の数値を見て驚いたことの二つがある。まさしく、これは重傷もので即入院という状態だと思うのである。

 

 一つは脚のむくみであるが、ドクターの言うような「パソコンのやり過ぎによる血液低下」ではないように思う。確かにそれもあるのだろうが、これは「水浮腫」である。

 

 これは防災訓練用の「救之助」というサンドバッグで、被災者役をさせるものだが、このように脚が丸太ん棒みたいな寸胴(ずんどう)になっている。昨夜、一週間ぶりに足湯でもしようとお風呂にはいってびっくりした。こんな脚では階段は昇れないし、歩くことすらできない状態になっている。

 

 それに体重計のこの数字、見慣れたようで見かけない数字。「あ、70.7Kg」だなと記録しようとして眼が止まった。これも、私にすれば限界的な数字。「一日に2Kg 以上増えたら即入院」という規模を大きく超えている数字である。

 

 どこからどこまでが正常で、どこから数値を誤って記入するようになったのかの点検をはじめた。今月二日の内科の診察日の時からだ。私が、「おなかが張るのに、関係ない大腸の検査なんかしなくても良かったのに・・」と言ったのがドクターにはカチン!と来たらしい。このあたりから、ドクターと私のすれ違いが目立つようになった。

 

 これは、明日、提出する「日々管理表」である。私が、このおなかの張りは水分でしょう」と言うのに、ドクターは、「内臓脂肪です」の一点張りだった。明日は、このおなかの張りは水分で、「浮腫=水ぶくれ」であることを証明しないとあかん。そこが難しい。

 

 話が変な方向へ進んでしまって、「閑話休題」。昨夜、宅配便のお兄ちゃんが、「インターホンが壊れているのかつながりません」と、固定電話に掛けてきた。私は危険防止のために「固定電話」には出ないのだが、ふと、出てしまった。それが、この、いちごである。早速にお仏壇にお供えをしておいたのに、朝になると、朝食の一部になってきた。千葉の「無邪鬼」さんからのお供えらしい。

 

 さて、今日からが年賀ハガキの受付らしいので、昨日の宛名書きされたものに、今日は本文印刷をしてみた。

 

 年賀状が少なくなっていくのは寂しいが、これも世の中の道理だから仕方が無い。花が咲く頃はうれしくて楽しいが、落ち葉の頃は悲しくて辛いのと似たようなものである。

 

 奥方用・私の親戚用・友人用・趣味の仲間用・お坊さん用と印刷して、一言メッセージなんぞを付け加え、県内用と県外用に分けておしまい。

 

 明日は、「緊急入院用」のバッグを持っては出るが、おそらく、多分、二時間程度の点滴で追い返されるのに間違いなさそう。だって、18日の水曜日には、香川医大の附属病院に行く予定だからだ。

 

 心臓病の一件は、すっかりと片付いてしまっているのかと安心をしていたのだけれど、やはり、心不全症候群の病は癒えてはいなかったのか。最近は大きな深い深呼吸はできなくなってきているのは知っている。だから、やみくもに「ゼーゼーハーハー」を繰り返すばかりでパワーは復活はしてくれない。この肺の長さが大きく違うと呼吸の度合いも違うと言うもんだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生一生 酒一升 あるかと思えば、もう空か」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。のんべえの自分には、とても分かりやすい法語だ。まだたくさんあると思っていたお酒のビンが、いつの間にか空っぽになっていく。身をもって実感できる事実である。時の流れはひとときもとどまることはない。私たちの生は確実に終わりに向かって進んでいる。時間には限りがあるのだ。だから本当に急がなければならないことを、きちっと見定めて急ぐのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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