まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

トイレの神様・植村花菜

2010年03月07日 | 日常
トイレの神様/植村花菜

 この・・きれいなお話のあとで・・なんだけれど、つい・・思い出したようなお話です。

 便所の神様《吉を招く「言い伝え」-縁起と俗信の謎学》を読んだ訳だ・・。

 「便所で唾や痰を吐くな」「朝夕の六時に便所に入るな」という言い伝えがあるそうだ。便所の神様は、人間が用をたすとき、右手で大便を、左手で小便を受けて下さるのだそうらしい。人が用をたしているとき、神様は両手がふさがっているわけで、そこに唾や痰を吐くと、神様の口に入ってしまうと考えられているのだそうだ。

 
 
 また、朝夕六時は便所の神様が他の神様と相談する時間と考えられていて、その時間に用をたすのは、相談を邪魔してしまう事になってしまうのだそうだ。だから、もし、我慢が出来なければ・・・「ごめんください」と言ってから、入らなければならないのだそうだ。

 ちょっと笑ってしまう言い伝えなのだが、「何事も自分の力だけで行えるわけではなく、神の力をお借りするのだ」という謙虚な気持ちのあらわれのようなのだとも・・。

 また、女性の守護神である便所神というものがあって、お産の神様だそうだ。人間の排泄物は流れ流れて、あらゆる生命のふるさと、聖なる海へ‥流れていく。したがって、便所は人間の体内にあったものの一部を、日毎に海上他界へと運ぶ通路であったというのだ。


 便所は現世と他界の境にあって、便所神がいると信じられており、「便所を綺麗にすると、美しい子が生まれる」という言い伝えもあるらしい。

 また、「子どもが便所にはまったら、名前を変える」という風習もあるそうで、もちろん「便所=他界への通路」な訳だから、他界への通路に一歩踏み入れたなんて縁起が悪いのである。だから、名前を新しくして、再生をはかるというもの。ま、今のトイレには落ちたりはしないのだけれど・・。

 

 げんかつぎも、理由を知ると納得できる。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』によると、「加牟波理入道」または「加牟波理入道(かんばりにゅうどう)」は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある日本の妖怪、および日本各地の厠(便所)の俗信に見られる妖怪だ。

 『今昔画図続百鬼』では、厠(かわや=川屋)に現れる妖怪として口から鳥を吐く入道姿で描かれており、解説文には以下のようにあり、大晦日に「がんばり入道郭公(がんばりにゅうどうほととぎす)と唱えると、この妖怪が現れないと述べられているのだそうだ。

 「大晦日の夜 厠にゆきて がんばり入道郭公 と唱ふれば 妖怪を見ざるよし 世俗のしる所也 もろこしにては厠神の名を郭登といへり これ遊天飛騎大殺将軍とて 人に禍福をあたふと云 郭登郭公同日の談なるべし」などと、いかにも、もっともらしい・・・。

 

 兵庫県姫路地方では、大晦日に厠で「頑張り入道時鳥(がんばりにゅうどうほととぎす)」と3回唱えると、人間の生首が落ちてくるといい、これを褄に包んで部屋に持ち帰って灯りにかざして見ると、黄金になっていたという話もある。松浦静山の著書『甲子夜話』にもこれと似た話で、丑三つ時に厠に入り、「雁婆梨入道(がんばりにゅうどう)」と名を呼んで下を覗くと、入道の頭が現れるので、その頭をとって左の袖に入れてから取り出すと、その頭はたちまち小判に変わると記述されている。

 一方で、この呪文が禍をもたらすこともあるといい、江戸時代の辞書『諺苑』では、大晦日に「がんばり入道ほととぎす」の言葉を思い出すのは不吉とされる。

  岡山県の一部では、加牟波理入道の俗信が見越し入道と混同されており、厠で見越し入道が人を脅かすといい、大晦日の夜に厠で「見越し入道、ホトトギス」と唱えると見越し入道が現れるなどといわれている。

 中国の巨人状の妖怪「山都」が日本に伝わり、厠神(便所の神)と混同された結果、この妖怪の伝承が発祥したとの説もあるのだとか。



また、こういう話もあった・・。便所に祀られる神には、カワヤガミ(厠神)、センチノカミ(雪隠の神)などともいうものがある。烏枢瑟摩明王(うすさまみょうおう)を祀っているところもある。便所神は盲目で、大小便を左右の手で受けるため、便所で唾を吐くと口で受けなければならないため、この行為は禁じられている。もし唾を吐けば、歯や目が痛むとか盲目になるといわれ、荒々しく崇る神とされている。


 

 また便所神は産神ともされ、青森地方では難産のさいには家の者が便所へ負い紐をもって行き、神をおぶって産婦の枕元まで連れてくると産が軽いといわれていた。越中砺波地方では、出産のさいにカンショバの神(便所神)が最初にくるといっている。便所神は、便所の隅に棚を設けて幣束や人形を神体として祀られる。便所神は竈神や井戸神と夫婦だという伝承もあり、家の裏側に祀られる境界神として共通した特徴をもっている。便所神は中国でも祀られており、紫姑神などと呼ばれ、正月15日に便所から迎えてきて、竈神の前などでさまざまなト占を行う風があった。



 水の神様、火の神様、かまどの神様(荒神様)など、日本の家の中には沢山の神様がおられるのだが、便所の神様も日本では古くから信仰を集めてきた神様で、便所を特別な場所として信仰する習慣は、かつては全国各地で見られた。

 

 現在の便所はそのほとんどが清潔な水洗式なのだが、昔の便所は母屋とは別になっていて、暗くて汚い場所であり、そして、万一足を滑らせて地中深くに埋め込まれた便壺に落ちてしまうと、時には命を落とす事もある、危険な場所でもあった。便所は、こうした暗さ、恐ろしさ、不浄、といった“陰”の観念と結び付いた特別な場所であるが故に、便所は、単に排泄の用を足すだけの場所ではなく、この世とあの世とを行き来できる特殊な空間と考えられ、便所には神様がお祀りされたのである。便所神は、地方によっては厠(かわや)神、雪隠(せっちん)様、センチ神などとも呼ばれていた。

 しかし、便所神が全国的に広くお祀りされていたとはいっても、そのお祀りの仕方は地方によって様々であった。例えば、便所を新たに作る際に男女一対(夫婦)の紙人形を便壺の下に埋めて魔除けにするという地方もあれば、便所の中に神棚を設けて御神体となる人形を入れてお祀りする地方もあり、また、神社やお寺から便所神の幣束を貰ってきて便所にお祀りしたり、お餅や、鶏が描された絵馬を便所にお供えしたり、灯明をあげて花や線香を便所にお供えするといった地方もあった。

 

 関東地方や長野県東部、福島県南部などでは、赤ちゃんを初めて外に出す時に「便所参り」をする習俗もあったとか。生まれて間もない赤ちゃんは、あの世のものともこの世のものとも判断がつかない未成熟な存在なので、祖母か、もしくは産婆が、生後七日目頃の赤ちゃんを、様々な穀物の生命力の源である糞尿のある場所に連れて行き、この世のものとして安定した存在になるよう、そしてその赤ちゃんが健やかに成長するよう、便所神に米や御神酒をお供えして祈ったものである。ちなみに、糞尿を農業用の堆肥として蓄積するという方法は日本以外ではあまり見られず、日本で便所神が大切にされてきた理由には、「便所は農業生産と直結する場所」と考えられてきた背景もあったようである。

 また、便所神は出産とも深い関わりを持っていた。妊婦が便所を常に清潔に保つよう心がけ、便所神をお祀りしていれば、「お産が楽になる」「美しい子供を授かる」「強い子供が生まれる」という信仰も全国各地で見られ、こういった信仰は便所が出産と結びついていた事を示している。便所という汚い所に祀られながらも美しい子供を授けるので、便所神は盲目であるという言い伝えもあった。また、便所の軒下は胞衣(胎児を包んでいた膜や胎盤など)の埋め場所としても使われていたようである。

 

 このように、便所神のお祀りの仕方は各地で様々なのだが、その御利益はほとんど共通しており、「子授け」「安産」「生まれた子供の健やかな成長」が代表的な御利益とされ、下の病(性病や婦人病など)にも御利益があると云われてきた。

じゃぁ、また、明日、逢えるといいね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。