まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

さざんかに 明日の望みを 聞いてみる

2014年11月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は朝から夕方までずっと11度台。夕方からは8度から6度あたりまで下がるらしい。湿度は62%から54%、風は4mから6mの西北西の風が強かった。まだ、木枯らし1号には早いのかもしれないが、木枯らしを思わせるような風が電線をうならせていた。明日の14日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みとか。

 

 奥方が若い頃に勤めていた東かがわ市にある歯医者さんのお父さんが塩飽本島(ほんじま)の小坂の出身だということで、別荘を建てるときに小坂あたりも歩いたことがあった。当時は「よそ者には土地は売らない」ということで諦めた経緯があった。で、お隣の「しわく広島」で土地を見つけて別荘を建てた。

 

 あれから40年・・・(苦笑)、小坂にも何度か行ったことがあるが、その先生のことは忘れてしまっていた。ところが、その先生からこんな冊子が送られてきた。

 

 この本を書いた、福崎孫三郎さんという方が、その歯医者さんのおじいさんになるらしい。で、この本は国立国会図書館にあったものを、小坂の中西さんという人がコピーしてきたものの複製らしい。小坂の中西さんて、あの、中西さんらしい。ここには「小坂騒動」の顛末が詳しく書かれている。おそらく当事者が書いた唯一の記録らしい。

 https://www.shikoku-np.co.jp/feature/shimabito/1/12/

 

 明治維新にからむ人名(にんみょう)制度の崩壊とその争いの悲しい事件であった。人名たちはなくなった人名制度を守ろうとし、小坂の人たちはなくなった人名制度をよこせ・・・と争ったのであった。

 

 それはさておき、先日に依頼のあった「さぬきの偉人 十二人の先人を巡る」が完成したのでお届けに行ったのだが、相変わらずの不在。郵便受けには大きすぎて入らない。仕方がないので持ち帰りになった。お忙しいお先達さんである。

 

 朝方はこんないい天気だからと久々にお布団を干したら、やがて雲が出てきてどんよりとして冷たい一日になったので、慌ててお布団を取り込んだ・・・。

 

 こんな日はいい絵は撮れないんだろうなぁと思いつつも向かった先は大窪寺。風が冷たくて冷たくて・・・。それでも多くのカメラマンや介護施設の人たちがいる。デイ・サービスなどの一環で紅葉見物らしい。だからうどん屋さんにも長蛇の列が・・・。

  

 おへんろさんもスマホをかざして紅葉を撮影するのに夢中の人が多い。

 

 雲間から日差しがこぼれた瞬間にシャッターを切る。まさに、一刻一刻と景色が変わる。

 

 そんなこんなで、今日は「へとちまとち」な一日になった。「へとち、まとち」ってわかります?思うようにならないというか、やろうとするんだけどタイミング悪く意図しない結果になるみたいなことをいう、香川の一部の地区の方言らしい。今日はまさに「へとち、まとち」。目がみえにくいということで、気分的にすぐれないので、余計に「へとちまとち」。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きているということは、死ぬいのちをかかえているということ」という、東井義雄先生の言葉から。生まれてきたからには必ず死が訪れる、ということは誰にでもわかること。だから、この言葉は一見すると当たり前のことのように思えるけれど、普段の生活の中で、「死ぬいのち」をかかえながら生きているという思いは中々出てこないのではないだろうか。「いつか」死が訪れるけれど、その「いつか」がいつなのかはわからない。もしかしたら突然訪れるかもしれないけれど、まさか「今」ではないだろう、と思って日々過ごしているのが私の有り様である。以前の掲示板の言葉に、「生を奪う死は また 生きる意味を与える」という言葉があった。その随想の中で、「生死一如(生と死は一つである)」という仏教の言葉を紹介したが、今回の掲示板の言葉はまさにこのことを言い当てていると思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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